前回はこちら:浅田次郎インタビュー〈上〉
歴史の善悪を決めるのはナンセンス
――先ほど(前回)は、一見とんでもない制度に思える参勤交代も、日本のインフラ整備に影響を与えたというお話をお聞きしました。歴史に善も悪もないというスタンスですね。
歴史において善悪を決めるのはナンセンスだと思っている。それは後世の人が今の自分のいる社会から見て、都合よく解釈した結果で決めているにすぎない。
山縣(やまがた)有朋は存命中から悪役が定説だった。しかし、僕のイメージは伊藤博文とともにものすごく頑張った人。すごい働き者という評価だ。薩長と一口でいうが、薩摩に比べ長州にはたいへんなハンディキャップがあった。薩摩は幕末最後に反幕に寝返ったのであって、長州はその前から徹頭徹尾の反幕。2度も征伐されて、いろいろテロにも遭い、長州の先人は吉田松陰以下、ほとんどみな早くに死んでしまう。その中で若かった山縣と伊藤が辛うじて生き残って明治政府を支えた。
薩長藩閥と言われて、いちばん心外だったのはあの2人ではないか。どこが藩閥なのだと。これは共通していることだが、自分の出身の薩摩、長州に利益を持ち帰ってない。つねに国家の大計ということを考え、自分の出身地のことなど考えてはいない。明治の偉人たちの偉いところだ。つねに国家的な大局に立っていることと、現在ではなく将来のためにどうだ、という考えが必ずある。その辺が明治のスケールの大きさだろう。
この本にも書いたが、明治の偉い人は手掛けたことがひとつの職業だけにとどまらない。1人3役とか4役。小説家の大先輩である森鴎外は、軍人であり医学者であり小説家であり、帝室博物館館長を務めたように文化財の識者でもあった。そして、森をはじめ新渡戸稲造など、ほとんどの偉人は過労死をする。
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