皇后が近代天皇制の中で果たした役割とは? 原武史×奥泉光「皇后たちの祈りと神々」
奥泉:近代天皇制の研究といえば、これまでは当然、天皇が中心でした。原さんご自身も『大正天皇』(2008年)と『昭和天皇』(2008年)という著作をお書きになっていますね。
原さんの天皇論は、外からは見えにくい宮中祭祀に着目し、戦前と戦後の連続性を浮き彫りにするものでした。僕はなんとなく戦前と戦後で近代天皇制は劇的に変わったというイメージを持っていたので、この視点はとても刺激的でした。
今回の『皇后考』(講談社)ではなぜ、脇役と見られてきた皇后を主題にしようと思ったのですか?
母と息子の確執
原:最初に大正天皇の研究を始めたときは、天皇を追いかけるだけで精一杯でした。大正天皇についてはまともな研究がひとつもなくて、完全な空白になっていましたから。
大正時代は短いうえに、大正天皇の生涯の前半は明治にかかっていて、終わりの5年は皇太子(裕仁)が摂政になっている。だから、大正天皇を研究していると、自然に明治と昭和を両にらみにすることになるのです。それで次に昭和天皇の研究に移りました。
昭和天皇のことを調べていくと、昭和天皇とその母・皇太后節子(貞明皇后。大正天皇の后)との微妙な関係が、すごく重要なポイントだと気づきました。これは天皇だけを見ていてもダメだな、と。だから『昭和天皇』を書き終えた段階で、いずれ皇后や皇太后を中心的なテーマにする必要があると、うすうす思っていました。
奥泉:『皇后考』では明治以後、四代の皇后が描かれていますが、その中でも貞明皇后が近代天皇制の中で果たした役割が非常に大きいのがよくわかりました。
明治維新のときに天皇を前面に押し出して、大急ぎで万世一系のイデオロギーをつくった。宮中祭祀もほとんどが明治になってから新たにつくられた。明治天皇をはじめ、それを同時代で見ていた人たちは、それほど宮中祭祀には熱心になれない。その「フィクション」である宮中祭祀を「肉化」したのは貞明皇后だった、という理解でよろしいですか?
原:そうです。貞明皇后が神に対する信仰を深めていく大きな引き金となったのは、大正天皇の病気だと思います。