皇后が近代天皇制の中で果たした役割とは? 原武史×奥泉光「皇后たちの祈りと神々」
奥泉:昭和天皇が占領期にカトリックに接近していたというのも驚きでした。実際に洗礼を受ける可能性もあったんでしょうか?
原:もちろん推論の域を出ませんけれども、『実録』によるとキリスト教の関係者に占領期には50回以上会っています。なかでもフランス人神父のフロジャックとドイツ人の聖園テレジアには頻繁に会っている。フロジャックをバチカンに派遣して、向こうからは枢機卿がやってきて天皇と面会している。定期的に聖書の講義も受けていた。それ以前から聖書に親しんでいた香淳皇后に感化されたところもあったかもしれません。
昭和天皇と戦争責任
奥泉:その一方で、昭和天皇は宮中祭祀も熱心にやるようになったわけですよね。アマテラスに向かう祈りと、キリスト教の神というのはどう考えても相容れない気がしますが。
原:まず、天皇自身が戦争責任を痛感していたと思います。ではどうやって責任をとったらいいか。ひとつは退位することです。
『実録』では、最初から退位は考えていなかったというスタンスで一貫しているんですが、その根拠は1960年代後半に稲田周一という侍従長が残した回想録です。そこでは、自分は退位するつもりなどなかったと言っています。
ところが、占領期のリアルタイムの一次資料を読むと実際はかなり揺れていた。たとえば『木戸幸一日記』では、自分が退位することで戦犯たちを救えないだろうかと言っていますし、侍従次長木下道雄の『側近日誌』の中では、退位したほうが楽になるけれど、いまはできないと言っている。だから、最初から退位を考えていなかったということではない。天皇なりに何らかの責任を取らなければという気持ちは持っていたと思います。
ただ、退位という選択肢は政治的な理由でGHQによって封じられてしまったわけです。そうするとほかにどういう手があるかといえば、改宗だと思います。神道を捨てる。
奥泉:もし本当にそうなっていたらすごいことですね。
原:ひとつの可能性としてはあったと思います。GHQは信教の自由を認めていましたから。実際、宮中祭祀は廃止されず、戦後は天皇家の私的な一宗教として続いたわけです。もし天皇が改宗したいと言い出したら、GHQも止められなかったんじゃないか。
奥泉:仮にカトリックに改宗したいと考えていたとして、そのこととアマテラス以来の皇祖に対する祈りというのは、やっぱり矛盾しませんか? そこが非常に不思議に思えるんだけど、主観的には同居できるのかな。