「音楽の振り幅」「国境超え」坂本龍一の真の凄み 音楽・芸能界以外にも広く影響を及ぼした
1983年には映画『戦場のメリークリスマス』もブームとなり、俳優としての出演そして彼が手掛けた音楽は「YMOの」ではない坂本龍一としての存在感を知らしめた。やがて彼は映画音楽の作曲家として『ラストエンペラー』『シェルタリング・スカイ』などを手掛けていくことになり、音楽ファン以外の層にも世界的に認められていく。
YMOの解散後(当時は「散開」と発表)、彼のソロ活動は本格的に国境を超える。ニューヨークほかの先鋭的なシーン(特にビル・ラズウェル/マテリアル周辺)のミュージシャンとの共演、ファンクや民俗音楽の導入、最新機材の有効活用などが評価を高めた。『エスペラント』というタイトルのアルバムを出しているのが象徴的だ。一方でピアノ・ソロのコンサートも行うというのも彼のバランス感覚。
1990年に拠点をNYCに移してからは、世の中の喧騒と適度に距離を置いた活動をしていく。作曲・編曲をメインに据えた活動を志向・実践していたのではないだろうか。
音楽・芸能以外でも影響は大きかった
彼の活動は音楽・芸能以外にも及び、影響は大きかった。言動も常に注目される人で、本人もそれを強く意識して啓蒙・再考を促すというつもりでいたのだろう。音楽ファンに思想、政治・社会的アクション等への関心を持たせてくれた意義は大きい。
また、広義でのいち芸能人として、ゴシップ記事で世間をにぎわせることもあった。しかし今、この追悼というタイミングでそれらに大きく触れているのは、音楽ファン・彼のファン以外に向けての紹介記事だろう。それは他の方がたに任せよう。
坂本龍一は良い意味でカッコをつけ続けた人だった。それはギャグすれすれでもあり、笑われることもいとわなかった。それは彼の強さだと思う。そして個人的に彼は「世界を見渡す窓」として存在してくれていた。これはきっと筆者に近い世代の音楽ファンの多くに共通するだろう。感謝しかない。
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