「音楽の振り幅」「国境超え」坂本龍一の真の凄み 音楽・芸能界以外にも広く影響を及ぼした

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少なくともこの時期までは、YMOはそれらの中の一部だった。「YMO現象」が始まる前は。

以前からはっぴいえんどやサディスティック・ミカ・バンドなどで表立った活動をしていた細野・高橋にとっても、YMOの現象化した人気はけた違いだったはず。よって坂本にとってはより大きな戸惑いも与えることにもなっただろう。

1979~80年当時に中学1年生だった筆者もその1人だが、「テクノポリス」「ライディーン」でYMOを知り、セカンド『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を購入した多くの少年少女は3人の前歴を知らなかった。単に音楽、そしてヴィジュアル・イメージでYMOに飛びついた。

YMOとソロ活動を並行させた背景

当時のラジオ(特にFM)は3人の足跡も含めた番組をよく放送していたので、それで音楽を聴く幅が広がった(こうして音楽を紹介する仕事をすることにもつながった)点で3人には感謝しきりなのだが、アイドル人気ともいえたあの熱狂の中で、一挙一動が注目されることとなったのは苦痛でもあっただろう。

特に、もとよりアウトロー志向が強かった坂本が「はみ出る」傾向となり、彼をつなぎとめるために過激な音楽性のソロ活動を並行させたとも聞く。その時期のソロ作『B-2ユニット』を受け入れられたか否かは、その後も坂本ファンでいられるかどうかを決めたといえるかもしれない。

「テクノポリス」の作者で、サーカスの大ヒット曲「アメリカン・フィーリング」の編曲者でもある彼がこのアルバムを同じ時期に出した衝撃はリスナーだけでなく細野・高橋にとっても大きかったそうだ。その音楽性の振り幅の大きさは、大成功したバンドのメンバーのソロ活動として理想的なバランスだとも思う。

高橋がミカ・バンド時代からイギリスで知られていたこともあり、坂本もイギリスの先鋭的な面々との共演が増える。デイヴィッド・シルヴィアンやトーマス・ドルビーとの共演は特に有名だろう。

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