「音楽の振り幅」「国境超え」坂本龍一の真の凄み 音楽・芸能界以外にも広く影響を及ぼした

拡大
縮小

幼少時よりピアノを習い、10歳で東京芸大教授に師事して作曲を学ぶなどの環境にあった彼は、学生時代が1970年安保期にあたる世代。読書の虫で、学生運動にも深く関わり、クラシック音楽の素養があるうえに大衆音楽(ロック、ジャズなど)を好み演奏したのもこの世代らしい。鍵盤奏者はクラシック畑出身が少なくないが、彼ほど音楽的振り幅の大きさを理論で裏付けつつ実践しているミュージシャンはめずらしいだろう。

坂本氏のインスタグラムにはアップされた画像(写真:坂本龍一氏公式インスタグラムより)

プロのミュージシャンとしてのキャリアは1975年のスタジオ・ミュージシャンとしての活動が最初だが、ほぼ同時期にフリー・ジャズ、実験音楽、民俗音楽などにも関わる。ほどなくして大滝詠一、伊藤銀次、山下達郎らナイアガラ一派のレコーディングやライヴに参加することでミュージシャン界隈での評価・知名度が上がった。上記3名による『ナイアガラ・トライアングル(Vol.1)』や伊藤、山下のソロ・アルバムで彼の非凡なプレイ・編曲を味わえる。

同じ頃、りりィ、大貫妙子の活動にも深く関わる。大貫とはキャリアの節目節目で再会をくりかえし、2009年に彼女を迎えて行われたツアーを経て翌2010年に2人名義発表された『UTAU』は、その静謐さと美しさ、聴く側がため息をつく隙もない緊張感が話題となった。

坂本の知名度を一気に上げたYMO

彼の一般的な知名度が上がったのはイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMOと略記)での活動が大きいのは周知のとおり。高橋幸宏(当時はユキヒロ)と坂本が、細野晴臣が "細野晴臣&イエロー・マジック・バンド" 名義で1978年4月に発売された『はらいそ』に参加したことで揃い、YMOに発展、つまり当初は細野の活動の一環だった(実際、プロデューサーの名義は細野)。

『はらいそ』とYMOのデビュー・アルバム発売の間に坂本の初リーダー作『千のナイフ』が発売。YMOの4人目のメンバーといわれる松武秀樹が参加しており、アルバムに細野がライナーノートを寄稿している。また高橋の初リーダー作『サラヴァ!』もこの時期に出ており、細野・坂本も参加。坂本は高橋との共同プロデューサー・編曲者として深く関わっている。

YMOが細野中心のプロジェクトだったことは、プロデューサーが細野であったこと、活動期間中に活発なソロ活動・別活動を行ったのが坂本と高橋であったことからもうかがえよう。

この時期に坂本は渡辺香津美の『KYLYN』に共同プロデューサーとして深く関わり、高橋と矢野顕子も参加。渡辺と矢野はYMOの初ワールド・ツアーに参加することになる。山下達郎のソロ/プロデュース活動にも3人はそれぞれ関わっている。特にライヴ盤『イッツ・ア・ポッピン・タイム』での坂本の貢献は大きい。

次ページアイドル的熱狂を超えて
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT