「虐待・夜逃げ」壮絶家庭で浪人した彼女の絶望 受験費用等も自ら工面、えんじてゃさんに聞く

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「いきなり髪の毛をつかまれて切られたり、うるさいからと口にティッシュを詰められたりしていました。母と、覚醒剤を使っている父のケンカが絶えず、包丁を持って暴れる父を見て、つねに命の危険を感じていました」

そんな環境に耐えかねて、4歳の頃に横浜の別の町へ母親・妹と夜逃げをします。追いかけてくる父親を警察に通報して逮捕してもらい、なんとか逃げ切れたそうですが、それから小学校に入るまで施設を転々とする生活を送りました。

このような環境で育ったえんじてゃさんですが、彼女自身は好奇心旺盛な性格で、熱心に勉学に励んでいたそうです。

「施設にいる間、家でずっと本を読んだり計算ドリルをしたりしていました。外に出ても子どもだから何もできないし、好奇心を注げることがそれしかなかったんです。だから、同年代と関わらないまま小学生になってしまったのですが、6歳までに小学校3年生までの学習指導要領を終わらせていました

その甲斐あって、えんじてゃさんは小学校入学から中学年までずっとテストで100点を取る優等生でした。家庭環境も、いったんは窮地を脱しましたが、小学5年生のときに再び嵐が巻き起こります。

「母親の新しい彼氏の家に住むことになったのですが、その人に毎日、肉体的・精神的な暴力を受けるようになったのです。『可愛くなくて頭も悪い』と言われ続けて、容姿が悪いと思い込んだ私は余計に勉強で自尊心を保たないといけないと思ったのです」

小学校6年生の頃までに中学3年生の範囲まで終わらせた彼女は、進学した中学校でもずっと成績が5段階で4~5をキープし続け、高校受験では進学校を目指しました。しかし、母親とその彼氏による干渉は進路にまで及びます。

「『女は高校に行かなくていい』と言われ、進学校に行く道を閉ざされました」

理解のない親族に進路を邪魔される

えんじてゃさんは「自分で交通費を払う」という条件で、なんとか家から自転車で10分の横浜商業高校に進みます。高校に入ってから、母の彼氏による虐待はさらにエスカレートし、ふたたび母親・妹と夜逃げを試みました。

「母の彼氏は不動産経営者なので、神奈川県内で引っ越しをしてもすぐに身元がバレて追いかけられました。だから、沖縄に逃げてDVの被害者保護シェルターに入り、高校を変更する手続きと生活保護の受給申請を経て、高校2年生からコザ高校の普通科に転入しました」

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