一度怒ってしまうと、言い方が冷静さを欠き、己の未熟さを露呈することで、相手には伝えたい真意が違った意味に聞こえてしまいます。公の場だけでなく、一般のビジネスにおける交渉の場でも、怒りの表出によって取り引きがおじゃんになる、なんてことは日常茶飯事です。
古代ローマの哲学者、ルキウス・アンナエウス・セネカは、「自分で怒りを抑えるには、他人の怒る姿を静かに観察することだ」と述べています。私たちも仕事や信用を失わないために、他人の怒った姿を教訓にしなければなりません。
前連載の最終回で、元兵庫県議会議員の野々村竜太郎氏の「泣きギレ会見」を例にとり、怒りの感情は、他人や物だけでなく、自分に向けられることがあることを紹介しました。野々村氏は、選挙民から見捨てられる不安に怯え、他人の反応をうかがいながらも、疑惑に対する正当な抗弁ができず、質問とは無関係なことを叫びながら号泣してしまいました。
「万能感情=怒り」の使い方を誤ってはいけない
これは、自分の言い分に誰も聞く耳を持ってくれないとき、「誰も自分の気持ちをわかってくれない」「誰も自分を認めてくれない」といった不満を抱き、いわゆる「逆ギレ」をしてしまい、しかし怒りの矛先を誰にも向けられないので、自分に向けてしまった、というお粗末なパターンです。
上西議員の場合は、号泣とまではならなかったものの、会見の場で、怒りが「万能感情」であることを意識しない対応をしてしまったと言えます。万能感情とは、自分が強くなったような錯覚を抱いてしまったり、この世は自分の思い通りになるというような思い込みをすることです。そのため、「怒ればなんとかなる」といった逆ギレ的対応につながってしまいました。
万能感情は、自らが抱えている不満とも密接です。簡単に言えば、自分の思い通りにならないことが不満につながるということです。不満を怒りにしてそのまま表現してしまえば、状況はより悪くなるだけ。上西議員の会見はまさにその典型で、自身の立場をリカバリーできたかもしれないチャンスを潰してしまいました。
不祥事会見などの危機管理広報は、冷静さと誠実さを忘れず、間違っても逆ギレしないことが肝心です。そして、相手の第一次感情(=怒りの元、旧連載第4回参照)を見極めることが肝要です。相手、今回の上西議員の場合は、世論が何かを意識し、世論に対して、どのような対応をすることが真摯であるかを意識しなければなりませんでした。
公人の過ちに対して、とかく世論は厳しいものです。精神科医の片田珠美氏の著書『他人を攻撃せずにはいられない人』には、こうあります。
これはいわゆる「ナッツリターン騒動」で巻き起こった「謝れ、謝れ」の大合唱などとも類似した事例で、「情動伝染」という怒りの連鎖性を示す特徴と言えます。つまり、世論は有名人や公人に「謝らせたい」ことを主眼において糾弾しているのであって、そこで上辺だけの謝罪をしたり、誰かに責任を押しつけたり、まして居直りを見せるようでは、逆効果でしかありません。
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