海外旅行で「教養つく人」「つかない人」分ける視点 旅の予習をすれば、観光地を見る目も変わる

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ローマ帝国末期にはゲルマン民族がライン川・ドナウ川を越えて、ローマ領(西ヨーロッパ)内に侵入。その影響もあり、395年にはローマ帝国が東西に分裂してしまいます。「ヒスパニア」(ローマ時代のイベリア半島の呼称)には、ゲルマン民族の西ゴート人が侵入し、トレドに都をおいて西ゴート王国を建国しました。

ちなみに、西ローマ帝国は100年ももたず、476年に滅亡してしまいます。西ゴート王国はのちにローマ=カトリック(三位一体説を唱えるアタナシウス派)を国教としたことで、ローマ文化とゲルマン文化とキリスト教文化の3つを融合させ、のちのスペイン王国の宗教的基盤を作ったと考えられています。

この時代のスペインの空気を存分に感じられる観光地の1つが、カルタヘナです。ポエニ戦争でローマ軍を苦しめたカルタゴの将軍ハンニバルが、イタリア半島遠征の拠点・出発地としました。当時の名前が「カルタゴ=ノヴァ(新カルタゴ)」で、カルタゴを滅ぼしたローマはここをローマ風の都市に変えました。現在は、紀元前1世紀に造られたとされるローマ劇場が残されています。

また、西ゴート王国が都を置いたトレドは、イスラーム教・ユダヤ教・キリスト教の歴史的建造物があり、宗教共存の代表的都市と言ってよいでしょう。画家のエル=グレコはこの街の景色にほれ込んで定住し、この地で亡くなっています。

民族統一の悲願を成し遂げた末に悲劇を経験した大国・ドイツ

どの国も、今の形に至るまでにさまざまな変遷を経ていますが、とくにドイツの歴史は、複雑で難しいものです。

バルト海沿岸に住むゲルマン諸部族が、ライン川・ドナウ川を渡りローマ帝国との国境を越えてなだれ込んできたのが4世紀後半。そこに建国されたフランク王国から、ドイツの歴史をひもときましょう。

フランク王国が3つに分裂してできた東フランク王国が神聖ローマ帝国となり、ハプスブルク家が皇帝権を事実上世襲するようになりました。そして神聖ローマ皇帝とスペイン国王を兼任したカール5世(カルロス1世)の時代に、宗教改革が起こり、プロテスタントが生まれました。

のちに、北東部に成立したプロイセン公国はこのプロテスタント(ルター派)を信仰しました。プロイセン公国は、その後のスペイン継承戦争で功績をあげたことで、ベルリンを首都としてプロイセン王国に昇格しています。

18世紀半ばのフリードリヒ2世の時代にプロイセンは全盛期を迎えます。一方、南東部に位置するオーストリアも、ウェストファリア条約以降、自国の領土拡大に専念し、ハンガリーや南ネーデルラント(のちのベルギー)を獲得しました。そうした中、父の死により王家を継承することになったのがマリア=テレジアでした。

フリードリヒ2世とマリア=テレジアはともに1740年に即位したライバルで、マリア=テレジアはオーストリア継承戦争で辛くも勝利したものの、人口も多く地下資源が豊富なシュレジエン地方をプロイセンに奪われてしまいます。その後に行われた七年戦争でも奪回できませんでした。

一方、プロイセン王国は「上からの近代化」を進めたフリードリヒ2世のときにポーランド分割に参加して西プロイセンを獲得し、離れていた領土をつなげ、領土拡大に成功しました。

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