居心地は悪くないのに仕事で「もやもや」の正体 晴れない気持ちをスッキリさせるのは「越境」だ

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一方、一体感はその集団外との区別を明確にします。境界がはっきりしてくると、その内外の違いの認識が明確になります。違いは往々にして競争を生みます。主義・主張が自分たちとは違うこと自体が、争いの元になるのです。身近な例を挙げると運動会の紅白に分かれての棒倒しのように、赤と白というコミュニティをつくり、あなたは白組、あなたは赤組、と分けられれば、人は相手を倒そうと戦うのです。

人は境界をつくり、自分の居場所を確保し、コミュニケーションを容易にし、外部と峻別し、内に籠る。このこと自体は自然な営みということができます。

境界内は安全だが変化に耐えられない

では、境界内にずっと留まっていていいのでしょうか?

境界は物理的・心理的な壁です。心理的な壁は、主義・主張が激しくなればなるほど高くなり、どんどん排他的になります。他者を受付けなくなります。そして、境界内で通用する掟・ルール・規範をつくります。

企業の内と外を隔てる境界をイメージすると分かりやすいでしょう。会社の中で、同質化が進み、同調圧力が増します。ルールを破る人を極端に排斥するようになります。組織自体がタコ壺となり、ぬるま湯が心地よくなっていきます。

われわれは、会社を始めとする境界内のコミュニティに所属しています。絶海の孤島でひとりぼっちで暮らすなら別ですが、何らかの境界内で生きているのです。そして、前述したように境界内のコミュニティはどんどん安定化しようとします。

掟を破ると何らかのペナルティがあり、自然と余計なことをしないようになります。前例主義・事なかれ主義・正解主義は、日本が島国であり海という強力かつ物理的な国境に囲まれていることもあって、我々の中にどんどん蔓延ります。このようにして、境界内での安全・安心・信頼・着実・確実の世界で過ごしてきたといえます。

これを後押ししたのが、かつての日本的経営の三種の神器です。「終身雇用」でずっと境界内にいて構わないとし、年功序列で年次を重ね、歳をとるごとに給料が上がり、「企業内労働組合」で労使一体の協調経営を行う。これに「新卒一括採用」の仕組みが加わり、「タコ壺の中に居れば一生面倒はみるよ」と言わんばかりの状況がつくられました。

こうなると、自律的・能動的・自発的に境界を越えて次の居場所に移ろうと思う人は極少です。『Japan as No.1』でエズラ・ヴォーゲルが称賛したこの仕組みは、高度経済成長期を中心として有効に機能しました。およそ半世紀前の話です。

21世紀になってもこの過去の遺物から抜け出すのが難しい日本は、残念ながら多くの意味で〝安い国〞になってしまっています。時代は大きく動いているのです。

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