半導体「国策しくじり物語」から学ぶ4つの教訓 国家プロジェクトが林立した2000年代の失敗

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国策としての半導体産業支援が本格化する今だからこそ知っておくべき過去がある。国家プロジェクトの「失敗の歴史」だ。

建設中のTSMC熊本工場
熊本では台湾TSMCの新工場の建設が急ピッチで進む。政府からは巨額の支援が入る(写真:PIXTA)

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半導体という民間主体の一産業に、巨額の補助金を付ける動きが続いている。日本政府が誘致した台湾・TSMCの熊本工場には最大4760億円、最先端半導体の国産化を目指す新会社・Rapidus(ラピダス)には700億円が政府から支給される。

過去を振り返れば、国会の予算承認を得た事業である国家プロジェクトなどの形で、2000年代も半導体産業復興のために国費が投入されてきた。2001~2003年度の「HALCA(はるか)」には約17億円、2001~2010年度の「MIRAI(みらい)」には約465億円、2002~2005年度の「AS☆PLA(アスプラ)」には315億円が費やされた。

だが、日本の半導体産業の凋落を止めることはできなかった。この20年の日本の半導体支援政策は失敗に終わったといってもいい。その原因は何にあったのか。関係者の証言から探ってみた。

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