ーー1度目の休職期間は、どのように終えたんですか?
塩谷:ちょっと元気になったときに、SNSに「しんどい」と漏らしたら、大学時代の先輩が連絡をくれたんです。どうやらその人も休職をしていたようで、同じ境遇の人となら話せるかもしれないと思って、ご飯を食べに行ったんですね。
そしたら、「こういうことがしんどい」とか「傷病手当はどうしてるか」とかいったリアルな話ができて、「私だけじゃないんだな」って安心できたんです。
あと、銭湯に連れていってもらったのもすごく良かった。 お風呂が気持ちよかったし、銭湯で知らないおばちゃんとたわいもない話をしていると、「私、ここにいていいんだなあ」と、救われた気持ちになれたんです。銭湯の良さを知ってほしくて、「銭湯図解」を描き始めたのもその頃ですね。
「番頭兼イラストレーター」になると決意
塩谷:そうするうちに、だんだん体調が良くなったから、設計事務所に復職したんです。だけど、集中力が続かないんですよ。 30分作業したら、どっと疲れてしまう。 建築業界自体、どこも忙しいので、「建築の道を諦めたほうがいいかもしれない」と、そのとき悟りました。
ーーずっと目標にしてきた道を諦めなければいけないのは、ショックではなかったですか。
塩谷:かなり凹みました。 早稲田大学の建築学科を出て、設計事務所に入って……いわゆるエリートコースに乗ってきたぶん、それまで培ってきたものが無になってしまう感じがして……。
でも、無理だとはっきりわかってしまったんです。なので、休職するか会社を辞めるか転職するか、結論を出さなければと焦っていたとき、「銭湯図解」を描くために通っていた「小杉湯」の方に、「うちで働かない?」と誘われたんですよ。
そんな誘いもあって、進路をすごく悩んで、いろんな人に相談してみたら、みんなに「塩谷は絵を描くの好きだよね」と言われて。「え、私絵が好きなんだっけ!?」って、自分でもびっくりしたんです。
ーー当時は、絵が好きだという自覚がなかったんですね。
塩谷:なかったです。でも思い返してみると、建築に興味を持ったのも、インテリアコーディネーターの母と一緒に建築の絵を描いたことがきっかけだったんですよね。
「建築家になりたい」って気持ちは、「才能がないから見返さなきゃ」という劣等感からきていただけで、実は私は絵を描きたかったのかもしれない。そう気づいて、「銭湯の番頭兼イラストレーター」になろう、と決めました。
ただ、それで「めでたし、めでたし」とはならなかったんですよね。
(次回に続く)
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