三菱の国産ジェット機が撤退に追い込まれた必然 政府も含めたビジネス感覚、当事者意識の欠如

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IHIの航空技術者で航空関連の著作も多い前間孝則氏は『日本はなぜ旅客機をつくれないのか』(草思社、2002年)、『国産旅客機MRJ飛翔』(大和書房、2008年)などといった著作で業界に耳の痛いことを書くと、メーカーのトップからも苦言を呈されたそうだが、筆者はそうしたメーカー側の唯我独尊な姿勢を残念に思う。

2009年に三菱航空機の社長に就任した江川豪雄社長にファンボローの航空ショーで話を聞いたことがある。「いいものを作っても売れない、売れるものがいいものだと気が付いた」(江川氏)。だが、その後の経緯を見る限り、会社として意識改革ができたとは言いがたかった。

そもそもMRJの計画自体に無理があった。まず三菱重工の航空宇宙部門の規模が過小だった。当初MRJの場合、開発費が約1200億円、事業化に7000億円ほどかかると見られていた。だが三菱重工の売り上げは2006年度で3兆0600億円、経常利益は830億円ほどだった。事業規模は当時世界の防衛産業メーカーのランキングで第4位のノースロップグラマンに近かった。

一方、三菱重工の航空宇宙部門の売り上げは5000億円弱、経常利益は約144億円にすぎなかった。MRJの開発費のうち400億円は国が負担するとしても、残りは800億円。この金額は同社の航空宇宙部門の経常利益の5.5年分であり、事業化の経費7000億円は実に同社の経常利益の半世紀分に相当した。

ボンバルディア、エンブラエルとの違い

端的に言えば三菱グループが支えるにしても、MRJ事業は三菱重工1社が背負うには、その企業規模からみても荷が重かった。多くの事業部門を抱えるデパートのような三菱重工には専業メーカーのように果敢に判断を下して、迅速に投資を行うといった経営判断ができなかった。

同じリージョナルジェットを生産していたボンバルディアは元来スノーモービルや鉄道車輛のメーカーだったが、1980年代に低迷していた国営カナディア社およびイギリスのショート社を買収して旅客機ビジネスに参入、高収益の航空部門に育て上げた。またブラジルのエンブラエルも赤字の国営企業だったが、民営化によってこれまた優良企業として蘇った。

両社に共通しているのは経営者が強いリーダーシップを発揮してリストラクチャリング、それも単なる首切りではなく本来の意味での事業の再構成と果敢な投資を行ったことである。つまり、リスクを厭わぬ企業家精神とリスクマネジメントこそが航空産業で成功する条件であろう。

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