「当然、勉強時間が足りなくて落ちました。それでも2浪目はまだ『バイトに時間を費やしたから落ちたんだ』と思い込んでいて、バイトをやめて株を始めたんです。今思えば、そちらも時間がかかるんですけどね……。9時から15時まで株式市場を見続けて、終わった後に翌日の銘柄を勉強するのに1時間、読書での勉強に2時間……。合計すると1日9時間を株のことに費やしていました。本末転倒でしたね」
「2浪までなら大丈夫だ」という甘えから、興味が分散して受験勉強に手がつかなかった池田さんは、1浪・2浪ともに8月ごろまで1日2〜3時間しか勉強ができなかったと言います。
「毎年、夏の模試の判定がひどくて慌てて勉強をはじめる有様でした。現役のときは模試でE判定しか取れなかったことを思うと1浪目・2浪目の秋の模試ではC~B判定を取れた分、成長はしていたのですが、2次試験の対策が間に合いませんでした。バイト以外は自宅にずっといて、情報が入ってこないから自分自身と客観的に向き合えていなかったのです」
こうして池田さんはリミットであった2浪をしても京大に受からず、3浪目に突入します。
母親が変わってしまった
池田さんは今、志望校に落ち続けた理由をこう分析します。
「自分は本気出せば京大に受かる力があると過信、妄信していました。自分に勉強の力がないことを知るのが怖くて、音楽を学ぶことに逃げてしまいましたし、客観的に自分自身の評価ができる模試も受けず、課題を探して弱点を克服することから逃げていました」
「自分の弱さと向き合えなかったことが招いた失敗でした」と過去の失敗を振り返った池田さん。
こうして現在、彼が改心して当時を客観的に振り返ることができているのは母親の変貌がきっかけだと言います。
「理知的だった母が、夜になると泣いていたんです。心配のあまり風水にも頼って祈りはじめて、僕もオレンジ色のキーホルダーを持たされました」
挫折が積み重なったことに加え、母親の様子すら変えてしまったことによって池田さんはプライドが崩れ、3浪にしてはじめて自分と向き合うようになったそうです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら