「僕は今まで、京大の名前を使って作曲家になりたいと思っていました。その思いは3浪になっても変わらなかったんです。だからそのためには何浪してもいいと思っていました。でも、自分のせいで家族にまで迷惑と心配をかけていたことに初めて気づいて、母親のためにも今年で絶対に合格しないといけないと思いました」
「家族のため」その一念で、池田さんは今まで逃げてきたことと向き合うようになります。
「模試を積極的に受け、自分自身の課題を洗い出し、その改善を繰り返しました。滑り止めで受ける私立大学も対策を怠らず、地に足をつけてこの1年を受験勉強に捧げました」
その結果、ついに池田さんは早稲田・慶應・明治に合格し、3浪で受験生活を終わらせることができました。残念ながら京都大学は模試の判定もBから上がらず、4回目の挑戦でも落ちてしまいましたが、頑張ったことに悔いはないそうです。
「京大に入る夢は叶えられず、虚無感がありましたが、大学生になれるという安堵のほうが強かったです。自分はこのまま何者にもなれず、闇に消えていくんだと本気で思っていましたから」
自分は不完全だということに気づいた
こうして激動の浪人生活を経た池田さんは、早稲田大学政治経済学部に進みました。大学での生活も、3年ずっと自宅にいた反動で人と接するのが怖かったそうですが、大学に通ううちに人と向き合う「リハビリ」ができたそうです。
「浪人で内向性が強くなってしまいました。『3浪と話したい人なんていないでしょ』って思っていて、最初は浪人を隠していました。でも、それが周囲にバレてからも思った以上にみんな受け入れてくれたし、優しくしてくれました」
「人に恵まれた」と語る楽しい大学生活を送った池田さんは、就活でも4社から内定をもらい、大手コンサル会社に進みました。
現在、社会人になって3年目に突入しましたが、かつて3浪で志望校に受からなかったことで、今の社会人人生で大きく役立つ「バルネラビリティ(弱さを認めて受け入れる能力)」を得ることができたと言います。
「僕は3浪して、自分が不完全であることを認めました。それで共感性が高くなったんです。自分の弱さを見つめることで、他者の弱さも受容できることにつながりました。それが今の人間関係の構築にとても役立っています。素敵な人たちとの出会いに恵まれ、感謝できるようになりました」
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