【前編】「母の愛情不足」で45歳の彼が陥った苦悩 燃え尽き症候群の裏にあった幼少期のトラウマ

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大学では教職課程をとった。安定して生きていくためには手に職をつけること、そして公務員になるのがいいと思ったからだった。子どもが好きなわけでも、教師に憧れたわけでもなかった。

2年間、講師として働いたのち、ある県の中学校教師として採用された。授業、部活、保護者への対応など、教師の仕事は忙しかった。

村木さんには幼少期から続く慢性の下痢があった。それが40歳を手前にしてひどくなった。いくつかの病院を受診したのち、「ストレスでしょう」と言われた。ありとあらゆる検査をしたが、とくに異常は見当たらなかった。

40歳を過ぎたころには、うつ症状も出てきた。燃え尽き症候群だった。これにくわえて強い対人恐怖があった。教壇に立つと子どもたちが敵に見えた。

不自然に自習時間を多く設けている彼に、校長が気づいた。様子がおかしいことを指摘され、事情を聞かれた。

「自分に実家はありません」

「自分には教師が向いていない。辞めます」と彼は校長に言ったという。しかし校長は、「休職して、しばらく実家に帰ればいい。辞める必要はないじゃないか」と返した。

「自分に実家はありません」と返事して、退職する意思を伝えた。

なんのために生きているのだろうか、生きていていいのだろうか、自分はこの世にはいないほうがいいのではないか……。

そう思って、ある日の早朝に、この世から消えていなくなろうとした。目星をつけていた人気のない公園に行った。持参していた紐で輪をつくり、丈夫そうな木の枝に結びつけた。

別れを言う人はいない。自分が死んだところで悲しむ人もいない。やり残したことも、やりたいこともない。もう疲れた。死ぬことへの怖さはなかった。むしろ、この人生から解放される喜びのほうが勝っていた――。

静かに、自分の首を紐に通した。しかし、彼にとっては運が悪かった。いつもはろくに人通りなどないのに、散歩中の人が彼を見つけた。気がつくと、煌々とした白色灯の下で寝かされていた。何度も何度も名前を呼ばれていた。

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