「自己破産が入居時の審査対象にならない、都民住宅に母の名義で引っ越しました。父から慰謝料や生活費は一度も支払われたことはありませんが、離婚したことで母は寡婦扱いになったため、自己負担額が減って家賃も安くなったんです。
それでも、母の稼ぎは月々15万円程度のパート代しかなかったため、私が借りていた奨学金を使わざるを得なかったんです」
華の大学生活とは程遠いスタートを切った吉崎さん。サークルに入る余裕はなく、勉強に集中するほかなかったが、理想的なアルバイトに巡り会う。
「学部の先輩の紹介で、大学の近くにある研究所で実験補佐として働き始めました。時給は1900円で、週2〜3回通うだけでも月に10万円近くは稼ぐことができて。この稼ぎと奨学金がなければ、学費と生活費を払うことはできなかったでしょうね。
しかも、その研究所で行っている実験は自分の専攻と重なる部分もあったので、途中から職員の方に推薦してもらい、4年生以降は『技術研修生』という形で、大学の研究室から派遣されることになりました」
研究所でのシフトがない日には、銀行でサーバーの入れ替え作業などのアルバイトに精を出した。大学卒業後は大学院に進み、修士課程を修了後、「年収で選んだ」という、今も勤めている大手プラントエンジニアリング企業に就職した。
社会人になる頃には、同居している妹の就職も決まったため、母と妹との暮らしを解消。それと同時に、恋人と2人暮らしを始めることになった。
給与がまだ低いタイミングで、不運が続いてしまう
こうして、高校から大学院までで、吉崎さんが借りた奨学金の総額は1200万円。
奨学金を借りたことで大学に進学することができ、高収入の会社に入社できた彼の物語は、ここまでであれば成功譚である。しかし、社会人になった頃には、試練のドミノは音もなく倒れ始めていた。しかも、それは幸福な顔をしていた。
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