紫式部「源氏物語」知られざる"絶妙な設定"の凄さ 「光源氏」が華麗な生涯を送るための仕掛けとは?

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京都府宇治市にある紫式部の像(写真:カンテンパパ/PIXTA)
日本の古典文学というと、学校の授業で習う苦痛な古典文法、謎の助動詞活用、よくわからない和歌……といったネガティブなイメージを持っている人は少なくないかもしれませんが、その真の姿は「誰もがそのタイトルを知っている、メジャーなエンターテインメント」です。
学校の授業では教えてもらえない名著の面白さに迫る連載『明日の仕事に役立つ 教養としての「名著」』(毎週木曜日配信)の第13回は、2024年のNHK大河ドラマの主人公、紫式部の『源氏物語』について解説します。
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日本で最も有名な美少年の誕生

『源氏物語』において、光源氏の母は、桐壺更衣と呼ばれた。物語のかなり冒頭で急ピッチに人生を駆け抜けた彼女が亡くなったとき、光源氏はまだ3歳程度だった。

そんな光源氏は、成長すると「この世のものならず、きよらにおよすけたまへれば」=「この世の人だと思えないくらい、美しく育っていた」と評されることになる。おそらく日本で最も有名な美少年の誕生だ。

<原文>
月日経て若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならずきよらにおよすけたまへれば、いとゆゆしう思したり。

明くる年の春、坊定まりたまふにも、いとひき越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また、世のうけひくまじきことなりければ、なかなかあやふく思し憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、「さばかり思したれど、限りこそありけれ」と、世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。

※以下、原文はすべて『新編 日本古典文学全集20・源氏物語(1)』(阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男訳注、小学館、1994年)

<筆者意訳>桐壺更衣が亡くなってから年月が経った。そのころ、桐壺更衣の実家で育てられていた若宮(=幼少期の光源氏)が、宮中へ帰ってくることが決まった。若宮に再会した桐壺帝は――若宮が昔よりずっと、この世のものとは思われないくらい、美しく育っていることを知った。その美しさに、帝はどこかしら不穏な感じを覚えてしまった。

翌朝の春、東宮を決める時期がやってきた。帝は自身の第一皇子ではなく「若宮を推薦したい」と思っていたらしい。だが彼を東宮にしても政権を担当できるような有力な後見人は存在しない。さらに世の貴族たちも了承しないだろう。逆に若宮のことを考えると推薦しないほうがいいのだろうな……そう考えた帝は、表向きにはその感情をおくびにも出さなかった。

世間の人々は「あんなに若宮のことを帝は可愛がってらしたのに、東宮に推薦すらしないなんて。やっぱり慣習は大切なんだな」とうわさする。そして桐壺更衣を憎んでいた弘徽殿女御は、若宮の扱いに対し、ほっとしていた。

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