幼い光源氏の描写をみると、とにかく周囲がその扱いにやきもきしているのがわかる。たしかに立場としてはとても微妙なのだ。
母親は帝の寵愛を受けた女性、しかし身分が低いし、なによりもう亡くなっている。そして母の父(つまり祖父)も亡くなっているから、光源氏の後見人になれる人は誰もいない。
ここでいう「東宮」とは、皇太子、つまり次の帝のことである。桐壺帝の最初の正室は弘徽殿女御で、彼女との間にすでに子どもはいた。なので順当にいけば彼が東宮になるはずだったが……桐壺更衣を溺愛していた桐壺帝は、更衣の息子、つまり光源氏を東宮にしたがったらしい。
弘徽殿女御が生前の桐壺更衣にずっと意地悪していたのも、単なる嫉妬というよりは、「あんたに出てこられると、私の息子が次期天皇になれないじゃないのっ!」という怒りが根底にあったのだ。
だが、光源氏が東宮になったとして、その後見=政治業務の補佐役は誰もいない。なぜなら桐壺更衣の父親、つまり光源氏の祖父はもう亡くなってしまっているからだ。この時代は実家の家柄によってどの程度サポートを受けられるか決まる時代だった。光源氏は、家柄からして、圧倒的不利だったのである。
顔だけでなく頭も才能もすばらしかった
光源氏は内裏で育てられたが、賢さも、楽器の上手さも、かなりのものだったらしい。7歳で「読書始め=はじめて文字を読み始める儀式」があったらしいが、「世に知らず聡う賢くおはすれば」=「世にまれな賢さだった」と言われている。顔だけでなく、頭も才能もすばらしいものだった、ということだ。
そんななか、「光源氏の将来を占う高麗人」が物語に登場する。現代人の感覚からすると「そんな見ず知らずの高麗人占い師に、国の未来を委ねていいのか……」と驚くかもしれないが、『源氏物語』には現代よりずっとカジュアルに占いの描写が登場する。
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