故大納言、いまはとなるまで、ただ、『この人の宮仕の本意、かならず遂げさせたてまつれ。我れ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、かへすがへす諌めおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人もなきまじらひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただかの遺言を違へじとばかりに出だし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしのよろづにかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、交じらひたまふめりつるを、人の嫉み深く積もり、安からぬこと多くなり添ひはべりつるに、横様なるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ
<筆者意訳>あの子の父は、死ぬ間際まで「娘の後宮に入りたいという願いをかならず叶えてやってくれ。私が死んでも、彼女の夢を諦めさせないように」と繰り返し言っていました。だからこそ後ろ盾もない宮仕えはしんどいだろうと思いながらも、父の遺言を叶えようと宮仕えさせていました……。
が、過分なまでの主上のご寵愛は、かえって娘を辛い目に遭わせていたようですね。人々の妬みは深く積もり、気苦労は多かったようです。そして想像より早く向こう側に逝ってしまった。
主上のご寵愛はありがたいことでしたが、それでもやっぱり恨めしく思ってしまいますわ。
帝に愛されたがゆえに死んでしまった娘を持つ母のせりふとして至極まっとうなせりふである。しかし母が「帝に愛されたのは、迷惑でしたわ」とあまりにはっきりと言っていて、「こんなにしっかり『迷惑』って言っちゃうんだ!?」という驚きもある。
「恋愛はすてきなものではない」という紫式部の信念
『桐壺』のあらすじだけ読むと、「身分が低かった私がいきなり最高権力の帝に溺愛される!」という平安時代のシンデレラガールに見えるかもしれない。しかしその現実は、女性たちに妬まれ、意地悪をされ、その末に精神的に参って亡くなる、なんとも不憫な結末であった。シンデレラも楽ではないのだと、紫式部は物語の冒頭ですでに書いているのである。
『源氏物語』は、「男の人に愛されても幸せにはなれない」というストーリーから始まる。そこには恋愛は決してすてきなものではないのだという紫式部の信念があり、だからこそ桐壺更衣が帝に愛されて幸せだった場面は描かれずにいたのではないか、とすら思う。しかしその悲劇的な構成に対して、ちゃんと「帝に愛されて幸せ」な描写を加えた『あさきゆめみし』の卓見にも、納得できる。
あなたはどちらが好みだろうか。紫式部も大和和紀も稀代のストーリーテラーだったんだということだけが、私にはわかる。
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