例えば『源氏物語』の最初のヒロイン、桐壺更衣の話をのぞいてみよう。この物語は、すべては彼女から始まった。
以下に引用するのは『源氏物語』の書き出しである。古典の教科書に掲載されることも多いため、古典の授業で「いづれの御時にか……」という原文を朗読した人もいるかもしれない。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひあがりたまへる御方々、めざましきものにおとしめねたみたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちはましてやすからず。
朝夕の宮仕につけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもりにやありけん、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人の譏りをもえ憚らせたまはず、世の例にもなりぬべき御もてなしなり。
※以下原文はすべて『新編 日本古典文学全集20・源氏物語(1)』(阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男訳注、小学館、1994年)
<筆者意訳>それは帝がどなたの時代だったか――女御や更衣はたくさんいたけれど、そのなかで誰よりも帝の寵愛を授かっている方がいらっしゃった。彼女は決して身分の高い家柄ではなかった。そのことが身分の高い女性の妬みを誘い、さらに彼女と同じ身分や低い身分の女性の更なる苛立ちを掻き立てた。「なんであの女が?」とずいぶん憎まれていたらしい。
毎日帝が会いたがるので、彼女は朝と晩、帝のお側に上がる。しかしそうやって彼女が朝晩廊下を通るたび、女たちは苛立ちを募らせた。女たちの妬み嫉みが体にこたえたのだろう、彼女は病気がちになった。帝は、儚く気分の悪そうな雰囲気で実家へ帰ろうとする彼女を見ていると、さらに「たまらないな、かわいそうに」とお思いになる。そうして帝は世間の批判を気にせずさらに寵愛を深めた。それは世間の語り草になるほどの溺愛っぷりだった。
改めて読んでみると、『源氏物語』、冒頭からえげつない場面を持ってくる。のちに光源氏の母となる桐壺更衣は、身分の低い女性だった。「衣を更える」と書いて、更衣。もともとは天皇の着替えを手伝う役職らしい。
女房よりは上の身分ではあるが、当然、跡継ぎを産むための后候補の女性たちよりは下の身分ということだ。彼女の身分を指す言葉「いとやむごとなき際にはあらぬ」というのは、「そんなに身分は高くないけれど」という意味なのである。
分不相応な身分の桐壺更衣は、帝の「奥さん候補」がたくさん集まる後宮に入る。そして何の因縁か、帝の寵愛を一身に受けることになる。その寵愛っぷりは、最初から自分こそが帝の后にふさわしいと思って後宮に入って来た女性たちの怒りを買ってしまった。
おそるべき紫式部の観察眼
ここで「紫式部の描写力ってすごいなあ」と感心してしまうポイントがある。桐壺更衣の身分が低いんだから、高い身分の女性たちが怒るのはわかる。でも、桐壺更衣と同じ身分やその下の身分の女性たちのほうが、「ましてやすからず」=「よりいっそう心をざわつかせている」のである。
つまり「あの人があんなポジションまでいけてるんだから、私だって愛されてもいいのに」という感情こそが、より彼女たちの嫉妬を掻き立てているのだ。自分の手の届かない身分にいる女性が愛されるならともかく、自分と同じような身分の女性が愛されていることが、むかつくのである。
さらっと書かれている一文ではあるが、現代にも通じる嫉妬論だよな……と思う。私はここを読むたび、紫式部の観察眼に恐れ入ってしまう。
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