そのうちに、自宅でも母や兄から名前で呼ばれることが少なくなり、「デブ」と呼ばれるようになった。そんな中、父親だけが佳乃さんをかわいがってくれたのだが、その父親も母の気分のムラに嫌気がさしたのか、家に帰らないことが増えていく。父親は逃げることができるが、子どもの佳乃さんは逃げようがない。「まるでサンドバック」。佳乃さんは、当時のことをそんな風に表現する。
勉強がむしろわからなくなった“母塾”
兄はたいした努力をしなくても、勉強も運動もできる人だった。地元の中学に上がっても成績は良好、高校受験では地元の公立トップ校を受けていた。結局そこには縁がなく、第2志望の私立に入り、中央大学に進んでいる。出来のいい兄に比べて、ふくよかで要領が悪い佳乃さんを母親は確かに心配していたのかもしれない。しかし、佳乃さんにとってはその心配の仕方、愛情のかけ方が毒となった。
母親の中学受験プレゼンの数日後、母が佳乃さんに勉強を教える日々が始まった。当初母親が娘の志望校として考えたのは、自分が卒業した母校だった。ちょうどその頃、母校に中等部ができることが話題となっていたからだ。中学受験は小学生が受けるもの、高校受験で受かっている自分が教えればなんとかなるだろうくらいに考えていたのだろか。母親が買ってきたのは志望校の“赤本”だった。
「お母さんも一緒にやるから、頑張ろうね!」
母のやさしい声で佳乃さんの中学受験勉強がスタートした。中学受験に出る内容は学校で習うものとは少し異なる。そのため、中学受験に必要な基礎知識を学び、応用へと進んでいくのが通常のやり方だ。
しかし、母が購入したのは大学受験の赤本同様、その学校の過去問題が並べられている本だ。4年生の佳乃さんにやれと言っても解けない問題が多いのは当たり前なのだが、母親はこの赤本をベースに指導をスタート、間違えた問題は赤本に掲載された解説を母親が読み、母親独自の解釈を加えて佳乃さんに教えていた。
スポーツの名選手が名コーチになるとは限らないのと同じで、自分がその問題が解けることと、子どもが理解できるように教えられるということはイコールではない。だが彼女は、自分を過信していた。
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