イスラム教徒は、好戦的でも排他的でもない 中田考氏にイスラム教徒の死生観を聞く

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──「イスラーム国」のアブー・バクル・バグダーディー氏がカリフ制を宣言しています。

現状ではムスリムの圧倒的な多数が支持していないが、彼をカリフとして戦う人も出てきている。

──法が支配するのがイスラームなのですね。

西欧の概念に翻訳するなら、自然法の支配に近いが、アラビア語には近代西欧的な法の概念はない。イスラーム法とも呼ばれるシャリーア、『コーラン』『ハディース』による教えは西欧の法律とはまったく違う。

西欧では、国家より上にある自然法が国家を縛るのが法の支配だ。法治主義はあくまでも国家が作った法律によって行政や裁判を行うということをいい、法の支配とはまったく別の概念だ。イスラームの場合は法を定めることができるのは神だけであり、国家は神が定めた法の執行機関にすぎない。

──イスラームは日本人の仏教に近い?

仏法というときの法は、サンスクリット語のダルマ(理法)の訳語で、戒律も教えも共に含まれており、シャリーアに近い。

仏教の五戒である不殺生、不偸(ちゅう)盗(とう)、不邪淫、不妄語、不飲(おん)酒(じゅ)戒はシャリーアにほぼ対応している。仏教にも礼拝はあり、尼僧は頭巾をかぶる。仏教では善と悪を教えるのは釈迦だが、イスラームの場合は預言者ムハンマド。ほかの宗教より法の部分が詳しく厳密なので、われわれには法律と思われるようなものもある。

重要なのは神の前の平等

──「法の下の平等」も特徴ではありませんか。

『イスラーム 生と死と聖戦』集英社新書/760円+税/237ページ

法の下の平等は、法が同じカテゴリーと定めたものは同じに扱うということで、シャリーアもそれを定めている。しかし法の下の平等より重要なのは神の前の平等だ。つまり、創造主と被造物の無限の隔たりに比べると人間の間の相違など無に等しい。金持ちと貧乏人の差をなくしていくのではなくて、金持ちも貧乏人も同じ神の奴隷であり、死ぬときは持っているものすべてを手放さねばならない。最終的には「最後の審判」で裁かれる。今生は苦しくとも来世が本当の生であって、フェアプレーで頑張っていれば、全知全能のアッラーが来世で公平に報いてくださる。そういう意味の平等だ。

──人が中心ではなく、神が中心なのですね。

日本の宗教だと優しく救ってくださる阿弥陀様、厳しく怖い閻(えん)魔(ま)様、存在の大元となる神々しい大日如来などが別々にいる。イスラームでは一つの神がそういう機能をすべて持つ。われわれをこの世にあらしめ来世で救ってくださる優しい神だが、悪いことをしたら裁くのも同じ神。

──一神教……。

日本人だからわかりにくいのではなくて、時代が現代だからわかりにくい。昔の日本人なら一向一揆もあったし、真剣に信じていれば宗教のために戦うのはおかしくなかった。極楽浄土、来世での成仏を願っていた。その志向が今の日本ではなくなっているので理解しにくい。

──カリフ制再興に挑むイスラーム国はどうなりますか。

今のイスラーム世界が間違っているので、ああいう「鬼っ子」が出てきた。ムスリムは15億人だがイスラーム国は支配地人口1000万弱、戦闘員3万人ほどにすぎず、ムスリム世界を制覇する可能性はほとんどない。近々崩壊してもおかしくない。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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