医師が「医療は配管工事と同じ」と教える納得の訳 自然を深く知ることで治療方法が見えることも
こうして、細くなっていく流れを次々にたどりながら、山に分け入った。たどってきた流れが、水がちょろちょろ流れるだけになり、やがてその水は岩が散らばるツンドラの下にすっかり消えてしまった。ついに、谷間の頂上である山の峠に立ったのだった。
峠の上から、反対側の険しい斜面の下にも別の広い谷間が開け、水が反対方向に流れ落ちていくのが見えた。それはたった今登ってきた谷間とそっくりな風景だった。峠が2つの水系の境界、すなわち分水界になっているのがはっきりとわかった。はるか下に小川の流れが見える。それが別の水系の始まりで、やがて支流に分かれたり合流したりするのだろう。
峠を越えると、今度はそちらの流れをたどっていくことにした。
その後数日で、流れはほかの支流と合流して、刻一刻と大きくなっていき、その地域の水の流れがどういう形になっているか、直感的に理解するようになった。それは道なき道を歩んで山中を案内していく際に不可欠の知識だった。
人体にもいたるところに分水界がある
自然界と同様に、人体にはいたるところに分水界がある。胆汁は肝臓から細い管に排出されると、次々に大きな流れへと合流していき、やがて膵臓の消化液の支流に入り、そこで混じり合った物質を小腸へと運んでいく。同じようなパターンの流れが唾液腺と乳腺からの排出にも見られる。
カムチャツカ半島のビストラヤ川をさかのぼる旅は、心臓から出発した血液が人体のあらゆる組織へ旅していくのと似ていた。心臓から押し出されるすべての血液は最初に人体の本流である大動脈に入る。合流地点に到達すると、曲がって、より細い支流の動脈をたどっていき、さらにいっそう細い支流に分岐した動脈網へと進んでいく。こうして1つ曲がるたびに、血液は体内の目的地へぐんぐん近づいていく。
人体の太い血管や中太の血管にはすべて名前があるが、人体の奥地を流れている、いちばん細い毛細血管には、どんなに詳細な医学書でも名前が付けられていない。細胞の入口まで直接栄養を運んでいく毛細血管は、人体における山の峠だ。
動脈の流れを旅してきた血液は、そこを通過すると、ふたたびそっくりな別の血管の流れへと入っていき、帰りの旅路につくのだ。
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