医師が「医療は配管工事と同じ」と教える納得の訳 自然を深く知ることで治療方法が見えることも
一方、心停止は電気的な問題だ。心停止が起きると心臓は停止し、拍動を止める。その診断は患者に脈がないと告げるのと同じだ。心臓発作は心停止につながることがある。心筋に血液が送られなくなり、通常は協調している電気システムが乱れるときだ。ときには局所的な電気的混乱によって、心臓の電気的リズム全体が制御不能に陥ることも、どこか1つの器官に不具合があることで拍動が途絶えることもある。
拍動は人体の命を支えるリズムであり、心停止は厳密には「死」を意味する。ただし、蘇生するチャンスはまだある。心肺蘇生法(CPR)や電気ショックによってだ。CPRの胸骨圧迫、いわゆる心臓マッサージは心臓から血液を押し出し、停止した心臓の代わりに拍動させる方法で、電気ショックは車のジャンプスタートのように正常な電気リズムを回復させるためのものだ。それによって、多くの患者が蘇生する。
心臓の拍動を再開させるチャンスがいよいよ絶望的になってくると、わたしは「心臓マッサージを停止!」と叫び、壁の時計に表示された時刻を読み上げる。心臓の蘇生をあきらめたその瞬間が、正式に死を宣告された時刻となるからだ。
心臓発作では分単位の治療が重要だが、心停止では秒単位の治療が求められる。「コードブルー」とも呼ばれる心停止は、医学的治療で最も緊急を要する。だから、あらゆる医師、看護師の手を借りるために、コードブルーになると病院の全館放送のスピーカーからアナウンスされるのだ。
ほかの臓器が働きを停止すると、たいてい何分か、何時間か、何日か後に死がやってくる。脳死後に肉体が何年も生きられることすらある。しかし、心停止の場合、厳密に言えば、死はその瞬間に起きている。心臓の死はまさに人体の死なのだ。
「血管」と「水路」の共通点
旅客機から眼下を見下ろしたとき、地上をヘビのようにのたくって走る水路に魅了された。ちっぽけな小川が大きな流れになり、さらにほかと合流し、どんどん大きくなっていく。自分の体にも同じパターンがあることに気づいていた。前腕には、表面に青みがかった血管がくねくねと走っている。まさに大地を水路が延びているのと同じだ。血管は腕を上っていき、より太い血管と合流する。地上の流域を流れる川のように。
カムチャツカ半島でリサーチをしたときは、地元の家族といっしょに1週間にわたって馬で旅をした。出発してから数時間して、ビストラヤ川のもっと細い支流との合流地点にたどり着いた。右に曲がり、しばらく支流沿いに進み、最初の晩はそこでキャンプをした。
翌日、上流に向かって進んでいくと、また合流地点にぶつかった。そこでは、これまでたどってきた支流よりもさらに細い流れに分かれていた。そしてふたたび曲がり、さらに細い支流沿いに馬を進めた。
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