スネ夫に憧れた男が金に困った末に辿り着いた道 経済にバグを起こすための「石とお金をめぐる冒険」

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だいたい、アルバイトで蓄えられる額など、たかが知れている。桁が劇的に増えることなど、あるはずがない。おかしい。人生ゲームだったら、序盤のほうですでに「弁護士」とか「タレント」などの職を得て、「給料日」のコマを通過するたびにけっこうな額面のお札を手にすることができるのに。

人生ゲームと人生は違う。そんな薄味の知見を得つつ、さらなる小銭を求めて、私はバイト時間を増やしていった。それはまるで、自分で自分をカツアゲしているような季節だった。おい、ちょっとジャンプしてみろ。まだチャラチャラ、音がしてるじゃねえか。

ワンパターンすぎる経済

こうして地道にお金を蓄えることに夢中になっているうちに、気づけば私の青年期は終わり、そしてどういうわけだか、預金額は人並み以下になっていた。

労働にばかり精を出しているうちに、何度か身体を壊しかけた。一緒に働いている人たちに迷惑はかけられないと、仕事を休む。仕事を休めば、おのずと収入はなくなる。だから、預金を切り崩すよりほかに手はなくなる。こうして「貧乏」を経過しながら療養し、ようやく労働に復帰できるようになる頃には、雀の涙サイズの蓄えしか手元には残っておらず、だからまた小銭を口座に放り込むために、働き続ける。以下、繰り返し。これでは貯まるものも、貯まらない。

「貧乏」の状態に身を置いている時、「お金の呪い」はいよいよ怪気炎を上げてくる。どんな時、どんな場面であっても、お金のことしか考えられない自分が、そこにいる。

たとえば、1000円カットの店で髪を切ってもらっている時、床に散乱する自分の毛髪を眺めているうちに、「なぜこれを売ることができないのだ……」などと悶々としてきたりする。映画『レ・ミゼラブル』の冒頭シーンにおいて、貧に窮した女性が髪の毛や奥歯を売ったりしていたが、あんな感じの「自分のパーツを売ってもいい」時代、カムバック! などと本気で思ったりする。しかし残念ながら、ここは19世紀フランスではなく、現代日本である。ああ、無情。レ、ミゼラブル。

お金のことばかりに思考が囚われていると、だんだん、お金に対して腹が立ってきたりもする。だいたい、お金って、種類が少なすぎないか。1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉、1000円札、2000円札、5000円札、1万円札。以上がお金のオールスター。いや、あまりにも少なすぎる。ポケモンだって900種類以上いる時代だぞ。

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