たとえばレアポケモンであるところのミュウはかつて、裏技を使うことでダウンロードが可能だった。そんな感じで、10万円札が急に手に入るチートがあったって、いいんじゃないのか。100円札が気づいたら財布に入っているようなバグが起きても、いいんじゃないのか。
おい、経済。ワンパターンでやりすぎなんじゃないのか。
こんな感じで、貧に溺れれば溺れるほど、お金に対する認知は歪んでいく。それはまさしく不健康な状態で、しかしどうすれば健康的になれるのかもわからず、私はため息を吐きながらも、妄信的にまた労働へと手を染めるしかなかった。
小石拾いの招待状
さて、月日は過ぎ、ある年の春。私はやっぱり、お金に困っていた。
働けど働けど、我が預金額は明るくならざり、じっと残高を見る。心の石川啄木を嘆かせながら、そして「お金の呪い」に縛られながら、私は今日も窮屈に生きていた。
そんな折、友人から遊びの誘いがあった。
「地方の河川に、小石を拾いに行かないか」
人がお金の不安に頭を悩ませているというのに、なんて能天気な誘いなんだ。「小石を拾う」って。それって、小学3年生が放課後の校庭でやる遊びではないか。戸惑う私に対して、友人の押しは強かった。
友人は野外活動を嗜(たしな)んでおり、休日のたびに海や山へと足を運んでいるのだが、最近夢中になっているのが「石拾い」で、地味なアクティビティに聞こえるかもしれないが、いや実際地味なアクティビティなんだけど、一度やればきっとお前もその楽しさに目覚めるはずだ、と説得してくるのである。初心者でも「よい石」がたくさん拾えること請け合い、らしい。
「よい石」って、なんだ。ダイヤモンドの原石とかか、と質問すると、「いや、どこにでもあるような普通の石だ」と答えられてますます戸惑ったが、最近はお金のことばかりに時間と心身を費やしすぎていて、辟易としていたタイミングだ。たまには無意味な遊びに没頭するのもいいだろう。そう思い直した私は誘いを了解し、次の日曜日、その指定の河川へと向かった。石を拾うために。
マイ石を自慢したい
楽しい。なんて、楽しいんだ。
それが、初めて石拾いをしてみて抱いた、率直な感想だった。
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