スネ夫に憧れた男が金に困った末に辿り着いた道 経済にバグを起こすための「石とお金をめぐる冒険」

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ただ、誤解があってはいけないので明言しておこう。そんな中流家庭においても、「お金がなくなることへの不安」は常に渦巻いていた。

たとえば、家族旅行から帰ってきて家で荷解きをしている最中、父は必ず「さあ、これでうちの貯金はカラになった。明日からはおかずの数を減らして節約しなきゃな」と冗談とも本気ともつかないトーンで、家族たちに財布の紐をしめることをゆるやかに要求してきたりした。車の買い替えの際には、母はにこやかに「さあ、これで我が家にお金は一銭もない!」と宣言し、クリスマスが終わったあとには「うちはもう貧乏だから、来年からはサンタさんは来ないかもね」と謎の脅しがかかったりもした。

いま思えば、父も母も一定レベルの生活をキープするために、必死だったのだろう。だから、少しでも家計に「揺れ」のようなものが生じると、心の平穏を保つため、不安を子どもたちに吐露していたのだと思う。それはいわば、愚痴のようなものだ。

ただ、その両親の愚痴は、そのまま私にとっての「呪い」へと変換された。

いまのこの生活を保つためには、「お金はいつかなくなる」という不安と常に戦ってなきゃいけないんだ。

「お金はいつかなくなる」という現実に対峙するための手段は、真っ当に労働を続けること以外には存在しないんだ。

「お金がある」という状態こそが善で、「お金がない」という状態こそが端的に悪で。そして善を守るためには、どんなに神経がすり減ろうとも悪を近づけないようにしなくてはならないんだ。

そんな「呪い」に縛られたまま、私は大人になってしまった。母が「ザマス」を語尾に付けていないばかりに。

人生ゲームと「人生」は違う

おそろしいことに、その「呪い」の効果は実に抜群だった。

お金がなければ、なにも始まらない。なにも始めてはならない。そんな呪縛に囚われた私は、20歳そこそこの頃から、せっせと労働を始めた。同い年の友人たちは大学などで青春を謳歌していたが、私はとにかくアルバイトに精を出して、小銭を蓄えることに邁進していた。おそらくこの頃、私の口座には同世代の平均預金額の3倍ほどのお金が横たわっていたと思う。しかし、私は毎日のように空を仰ぎ、こう呻いていた。

「ああ、お金がない」

友人たちにそれを聞かれると、「なに言ってるんだ、けっこう貯め込んでるくせに」と揶揄されたりしたものだが、いやいや、それは大きな間違いだ。私がお金を持っているのではない、キミたちが持ってなさすぎるのだ。こっちは青春の時間を悪魔に差し出し、代わりに小銭を得ているのだ。キミたちは、不安じゃないのか。そう抗弁すると、友人たちは明らかに同情めいた瞳でもって、こちらを眺めてきたりした。

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