ハクトの前身となる、欧州と日本の合同チームを設立した2010年からチームを率いてきた袴田。カリフォルニア科学アカデミーを貸し切って行われた、盛大な授賞式の舞台上で、派手なパフォーマンスをするでもなく、「ようやくここまできたか……」と安堵を覚えていた。そして、一度さじを投げかけたこの壮大な挑戦が、実現に向けてがぜん勢いづいたことに手応えを感じていた。
袴田がハクトを解散するか否か、激しく葛藤(かっとう)していた日々から1年半が経っていた。
のちの人生を決めた大学院での出会い
袴田が宇宙に思いをはせるようになったきっかけは、映画『スターウォーズ』だった。10歳の時、テレビの洋画劇場で『スターウォーズ』を見た少年は、レゴブロックで、映画に出てくる宇宙船ファルコン号を自作して遊ぶなど、その世界観にすっかり魅了されていた。
宇宙に引かれた少年の想いは、忘れ去られることなく袴田の心の中にあり続けた。大学受験では「いつかスターウォーズの宇宙船を造りたい」という夢を追い、名古屋大学工学部機械・航空工学科に入学。さらに2004年8月、アメリカの名門、ジョージア工科大学の大学院に進学した。袴田が所属した研究室は、NASAやボーイング、軍事関係などの企業、組織と提携し、巨額の予算を得て多数のプロジェクトを受注しており、航空・宇宙開発の最先端のビジネスに触れることができた。
この大学院で、現在のハクトの活動につながる出会いを得た。
「XPRIZE財団が最初に開催したのは、民間で人間が乗って宇宙旅行ができるような機体を開発したら1000万ドルという賞金レース『Ansari X Prize』。2004年にスペースシップワンが成功しました。そのスペースシップワンのメンバーのひとりが大学に講演に来たんですが、その熱気に影響を受けて、民間での宇宙開発が加速度的に発展していくという可能性を感じ、民間で宇宙開発をやりたい、そうすれば宇宙船を作るのに近づくのではないかと思いました」
この時、袴田の方向性は定まった。民間で宇宙開発をするとして、技術者は大勢いるが、投資する資本家と宇宙に精通した経営陣がいない。自分はどちらかになりたい――。
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