西南戦争の裏にあった西郷隆盛「暗殺計画」の内実 当初は挙兵に反対だった西郷の態度が急変した訳

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スパイ役に選ばれたのは中原と旧知の仲で、かつ、私学校の生徒ではない谷口登太だ。谷口は、気を許した中原からこんな言葉を引き出している。

「自分は刺し違えてでも西郷を止める」

これを暗殺計画と解釈するのは無理がありそうだが、この話を聞いた私学校の生徒たちは騒然とした。2月3日に中原を捕縛。激しい拷問を加えたうえで、西郷暗殺の企てを自白させている。

大久保利通の挑発と血気盛んな私学校生徒たち

だが、中原たちは本当に西郷暗殺の任務を受けて帰郷したのだろうか。一説には、中原が「視察のために帰国した」としたのを「刺殺のために帰国した」と、私学校の関係者が意図的に曲解して、暗殺計画をでっちあげたともいわれている。決起をはやる急進派の暴走ぶりをみるに、あながちありえない話でもなさそうだ。

一方で、政府側にも策略を感じざるをえない。鹿児島県内の武器庫から銃器や弾薬は持ち出されて、いかにも怪しい警察官たちが大挙してくれば、私学校の生徒たちが黙っていないのは、容易に想像できる。

中原と同じく密偵として鹿児島県に放たれた野村綱にいたっては、突然出頭してこんなことを言ったという。

「私は大久保から西郷の暗殺を命じられて鹿児島に来たが、中原警部も捕まり、逃げられないと思ったので、自首することにした」

大久保は、たとえ鹿児島県で士族たちによる反乱が起きても、西郷は協力しないと読んでいた。そして、すでに政府の常備軍も整備されており、不平士族の鎮圧についても、熊本県や山口県で経験を積んでいる。

独立国のようにふるまう鹿児島県を潰すなら今だと、大久保は機を見て、川路に挑発行為を命じたのだろう。鹿児島士族を立ち上がらせるのに、最も効果的なのが「西郷の暗殺をほのめかすこと」だと考えたのかもしれない。

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