状況や相手によって、タイプは変えられるのだ。それどころか、むしろ変えるべきなのだと著者は主張している。ユーモアを効果的に使うコツのひとつは、空気を読んで、その場にふさわしい態度や話し方に切り替えることなのだと(いわば、ずいぶん前に流行った“KY”とは正反対のスタンスだ)。
スタンダップやスナイパーが大勢の人を味方につけるには、手加減をすべきタイミングを見極めるのが重要だ。いっぽう、マグネットとスイートハートは、相手をもち上げようとして自分を低く見せるが、あまりにも卑下しすぎると、スタンダップやスナイパーの目には情けなく映るだろう。>(53〜54ページより)
かように、ユーモアのタイプは固定的なものではないのだ。「なにをおもしろいと感じるか」「どのようにユーモアを発揮するか」についての好みや傾向など、自分のタイプを認識するだけでなく、大切なのは「どんなときにタイプを切り替えたほうがよいか」に気づくこと。そうすることで、対人関係において大きな効果が生まれるわけである。
ユーモアを活用してみる
話は戻るが、先述したとおり源氏鶏太はユーモアを「何んとなくうら悲しくて、おかしいことである」と定義づけている。そして人間とは結局、「何んとなくうら悲しくて、おかしな存在」なのだとも述べている。
だからこそ、自分のタイプを認識し、状況や相手によってそれを切り替えながら向き合うことが大切なのだ。ちょっとの勇気を出して、ユーモアを活用してみるのだ。そうすれば、違ったタイプの相手とのコミュニケーションも円滑になる可能性があるのだから。
なにしろ人間はみな、「何んとなくうら悲しくて、おかしな存在」なのである。
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