きな臭い男?「三浦義村」将軍暗殺"黒幕説"の深層 3代将軍・源実朝殺害の裏で糸を引いていたのか
源頼朝の死後、鎌倉幕府の集団指導体制として発足したとされる「十三人の合議制」。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のモデルとなった体制であるが、その13人の中の1人に相模国の御家人・三浦義澄がいる。その義澄の子が三浦義村だ。
義村にはきな臭い「うわさ」が絶えずつきまとっている。彼が、幕府の3代将軍・源実朝暗殺の黒幕ではないかという説もそうだ。
ではなぜ義村が疑われているのか。その理由の1つは、実朝を暗殺した公暁(2代将軍・頼家の子)が暗殺事件直後に義村にコンタクトをとっているからであろう。
公暁は義村に「私は実朝を殺した。今では私こそが大将軍である。義村の邸へ行くぞ」(『愚管抄』)と伝えたり、「東関の長(将軍)」にするよう計らえと命令したりしたという(『吾妻鏡』)。これにより、実朝を殺した公暁の裏に義村がいるのでは?と後世の人々から疑われたのである。
三浦義村の妻は公暁の乳母だった
それだけではない。義村と公暁の間には、もっと強い結びつきがあったのだ。まず、義村の妻は公暁の乳母だった。この時代、乳母と乳を与えていた子どもとの結び付きには強固なものがあった。
例えば、源頼朝の乳母は比企尼(ひきのあま)だが、彼女は頼朝が伊豆に流罪となってからも絶えず仕送りを続けていた。その縁もあり、頼朝が権力を握ってから、比企氏は重用された。
比企氏は尼の甥の能員(よしかず)が継ぐことになるのだが、能員の妻は頼朝の子で後に2代将軍となる頼家の乳母となる。能員自身も、頼朝死後の十三人の合議制メンバーに選ばれている。北条氏と並ぶほどの勢威を見せたのだ。その根源は、比企尼が頼朝の乳母だったということになるだろう。
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