現在の元号「令和」。その出典が、和歌を集めた日本最古の古典文学『万葉集』であることはご存じだろうか。
和歌、と聞くだけで身構えてしまう人も多いかもしれない。どうせ気取った風景や季節への感慨を詠むものだ、と考えてしまう人もいるだろう。和歌といえば、風流で、雅なもの。そんなイメージを持たれることは多い。
しかし実は、そんなふうに考えるのは、古典の授業で習う和歌が面白くないことが原因だ。奈良時代に生きていた彼らだって、恋をしたり、ごはんを食べたり、仕事をしたり、生活をしたりしていた。そしてそのなかに「歌」があっただけなのだ。
現代の私たちがTwitter(ツイッター)やInstagram(インスタグラム)で自分の感情をつぶやくように、当時の人々は、和歌を詠んでいた。
万葉集といえば、現存する日本最古の歌集。庶民から天皇に至るまで、さまざまな立場、地域の和歌を収録している。その数なんと4516首。
さらに万葉集に収められた和歌には、130年くらいの幅がある(629年舒明天皇即位時~最後の歌が作成された759年くらいまで)。現代でいえば、夏目漱石と村上春樹くらいの時代のひらきがある。
今でいえば、「日本中の人々の、4516ツイートを集めた本」と考えたらいい。130年間にもわたる4500首以上のつぶやきを集めた狂った文学作品。そんなもの、世界中でも類を見ない。……風流だけでは済まされない、狂気の沙汰であることがおわかりいただけるだろうか。
脇の毛が和歌の主題になった奈良時代
そして中身も面白いのが『万葉集』。なかにはこんな歌が収録されている。
(訳:こどもたち、草は刈るなよ。刈るならば、穂積さんの脇草を刈るべし)
……脇の毛が、和歌の主題になる時代。それが、奈良時代だった。
いつも草を刈る労働をしている子どもたちに呼びかける。今日は、草は刈らなくてもいいぞ、と。「穂積の朝臣」の脇の毛がどのようなものだったのかは、ご想像にお任せしたい。
あるいは、こんな歌もある。
(訳:私がもっとふつうの女だったら、あなたのところへ行ける川を渡ることをためらったりしないのに……)
こちらは「紀女郎の怨恨の歌三首」のうちの一首。つまりは失恋して、相手を恨む気持ちを詠んだ和歌だ。
怖い、怖すぎる。しかしいかにもプライドの高そうな女性が失恋したときに詠んだ歌が残っているのだ。万葉集の和歌がいかにバラエティに富んでいるか、少しおわかりいただけただろうか。
「令和」の出典こと万葉集は、決して難しい文学ではない。私たちと同じように、誰かをいじったり、誰かに失恋したりしていた、身近な存在がつぶやいた歌が載っているだけなのだ。
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