アカデミー賞獲った女性が語る「日本映画の盲点」 日本の若い人たちはもっと貪欲に生きるべきだ

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カズオイシグロと企画打合せ、2016年(写真:吉崎さん提供)
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8月31日から始まったベネチア国際映画祭。今では日本映画も数々ノミネートされているが、60年以上も前に大分から単身イタリア・ローマで学び、海外の映画業界へ飛び込んだ女性がいた。その名は映画プロデューサーの吉崎道代さん。1992年のアメリカ・アカデミー賞では『ハワーズ・エンド』『クライング・ゲーム』が計15部門にノミネートされ、4賞を受賞、世界を舞台に映画プロデューサーとして華々しい活躍で注目を浴びた。
一方、私生活ではイタリア人との間に男の子を授かり、結婚しないまま出産、シングルマザーとして奮闘してきた。この夏、自身の半生を振り返った本『嵐を呼ぶ女 「アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録」』(キネマ旬報社)を出版した現在80歳の吉崎さんに、映画作りに必要なこと、日本の若者に伝えたいメッセージなどについて聞いた。

――吉崎さんが若い頃、日本人女性が子育てをしながら海外に出て仕事をするのは大変だったのではないでしょうか。

吉崎:21世紀の今となっては、子どものいる女性プロデューサーもたくさんいますが、私が仕事を始めた半世紀以上前は、男性中心の社会でした。特に、映画プロデューサーは男性ばかりのボーイズクラブ。私たち女性は、生まれたときからアウトサイダーみたいなものでした。

その中で私が映画プロデューサーになるために心掛けたことは2つです。1つは、神様に毎日祈ること。祈ることで願望が確固とした意志になります。そして、「どういうふうにすればいいのか」という考えが生まれてくる。期待されていなければ何でもできます。大切なのはギブアップしないことです。

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