才能は遺伝によるものかもしれない。だが、天才は違う。天才――あるいは馬で言うなら、とんでもない偉業――は、血筋によるものではなく、どちらかと言えば「究極の嵐(パーフェクト・ストーム)」というものに近い。複数の条件が重なって相乗効果を生み、巨大な力に発展したものと言える。
20世紀最高の、いやもしかしたら永遠に史上最高の馬かもしれないセクレタリアトは、その死体解剖の結果、心臓の重さが父親であるボールドルーラーの2倍の21ポンドあることがわかった。セクレタリアトは優れた血統ではあるが、他に類を見ないほどの血筋というわけではなく、驚くほどずば抜けた能力の子孫も残していない。およそ400頭の子孫のうち、アメリカクラシック三冠レースに勝利したのは、これまでにたった1頭しかいない。
同様に、天才もたいていは、目を瞠(みは)るほど優れた両親のもとに生まれてはいない。確かに、親子でノーベル賞を受賞したペアも6組いる――5組は父と息子で、1組は母と娘だ(マリー・キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリー)。
おそらく、より血筋説について説得力がありそうなのが、ヨハン・セバスチャン・バッハとその3人の息子、カール・フィリップ・エマヌエル、ヴィルヘルム・フリーデマン、ヨハン・クリスティアンだろう。
天才は遺伝しないのが多数派
しかしこれらの家族は、ルールを証明する例外である。ピカソの4人の子どもたち(誰一人、異彩を放つ画家ではない)を考えてみるといい。あるいは、ウェブでアンリ・マティスの娘のマルグリット・マティスの絵を見たり、フランツ・クサーヴァー・モーツァルト(音楽的な耳はよかったが、イマジネーションがなかった)のピアノ協奏曲を聴いたりしてみると、天才が天才を生むわけではないことがわかるかもしれない。
以下のような天才たちを考えてみてもいい。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、シェイクスピア、アイザック・ニュートン、ベンジャミン・フランクリン、テスラ、ハリエット・タブマン、アインシュタイン、ファン・ゴッホ、キュリー夫人、フリーダ・カーロ、キング牧師、アンディ・ウォーホル、スティーブ・ジョブズ、トニ・モリスン、イーロン・マスク。
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