紀の国屋「廃業→再スタート」の知られざる経緯 カレーパン作ろうとしていた会社が引き継いだ

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「面白いのは、それぞれにファンがついていて、『私はこれが好き』と買いに来ることです。稲垣はあわ大福、私はこじゅうが好きなんです」と伊藤氏が言えば、稲垣氏は「昔からのファンは最中が好きで、OLさんなど中堅世代はあわ大福、若者はこじゅうが好きです」と説明する。

稲垣氏は、「食べ物にも"品"というものがある。おいしいというのは、人間を動かすんだな」と述懐する。実はこれら看板商品の魅力こそ、ブランド再生の最大の原動力かもしれない。

「どのように残したいか」を考える

3~5人いた店員を2人に絞るなど、人件費の削減を試み、店舗数もなるべく増やさない方針で経営するというアイ・スイーツ。廃業や閉店をした店の味を残していくには、「厳しい現実を前にしても、どのように残したいかを、残す側が考えることだと思います。人手に渡ってもいいからブランドを残したいのか、あるいは自分のモノだから終わりにするのか。今回のように、そこにいた人間に『想い』を託すのか。継承の芯の部分を大事にすることだと思います」(稲垣氏)。

あわ大福、最中、こじゅう
レジ横に並ぶ人気商品。世代によって、人気商品は異なるという(撮影:今 祥雄)

どうやら、1948年創業の紀の国屋は、よくも悪くも古い体質のまま令和の時代まで持ちこたえたことがわかる。それは、マニュアル化がいっさいなく、従業員が正社員で、お腹いっぱいになるほど大きな和菓子を作ってきたことだ。そうした企業が希少だからこそ、紀の国屋は多摩地区を代表する和菓子屋として愛されてきたのだろう。

客観的にそうした体質を見れば、効率化の余地は多そうだが、下手に効率化すると職人たちが言う「真心」はなくなる。そして、再スタートを切ることはなかったかもしれない。格差拡大の要因である非正規の雇用が、批判的にみられる時代にもなっている。

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