紀の国屋「廃業→再スタート」の知られざる経緯 カレーパン作ろうとしていた会社が引き継いだ
紀の国屋が正社員として雇用していた理由を、稲垣氏は「多摩地域は車社会で通勤が不便なため、パートだと人が集まらないんです。また、店舗の運営もマニュアルはなく、各店長の裁量で運営するため、せっかく教えたのに辞められたら困る、という考えもあったみたいです」と説明する。
配達や、顧客が商品を選んで組み合わせ贈答品にするサービスもあったことが、客の声でわかった。煩雑ではあるが、きめ細かなサービスが愛される理由でもあった。
継承と同時に商品も刷新
和菓子屋ではめずらしくないが、工場でも包装以外の工程がほぼ手作りで、技術は口伝で継承されていた。そのために職人も人手が必要だった。一方で、機械頼みではなかったことが幸いし、紀の国屋の工場が管財人に押さえられていても、中古の鍋や釜などを購入し再スタートを切ることができた。
和菓子事業を始めるにあたり、アイ・スイーツでは試食アンケート調査を行い、商品を大幅に刷新。例えば、看板商品を、現代人の好みに合わせて小ぶりにしている。あわ大福の場合、あんこが100グラムだったところ75グラムにした。
「以前は、おなかいっぱい食べられる和菓子でしたが、今はそういうものだと大きすぎて躊躇されてしまいます。お客さんからは『ちょっと小さくなったけれど、私はこれのほうが好き』『食べやすい』と言われます」と、伊藤氏。最中が小ぶりになったことで、皮の味も伝わりやすくなったという。
最中はもともと「相国最中」という名前だったが、商標権が管財人の手にあるため、同じ材料で作る汎用品の最中の皮を、以前と同じ皮の専門業者に発注している。また、「テレビでカレーの製造会社の人が『水が大事』と言っているのを見たので、予定にはなかったんですが、業務用の高品質の浄水器を入れました。作り方は変えていないんですが、お客さんから『おいしくなった』と言われます」と稲垣氏。
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