エイジさんには小学校時代の記憶がほとんどない。酷いいじめに遭ったことが原因だと思われるが、いじめられた記憶ごとごっそりと抜け落ちているという。覚えているのは、好きな算数の授業がある日だけ、母親に連れられて登校したこと。中学校でも不登校状態が続く。専門学校を中退後、社会人になってからは就労とひきこもりを繰り返した。
エイジさんは自らの生きづらさをこう説明する。「ずっとわけのわからないルールの中を歩いている感覚。進入禁止の道を、ほかの人は当たり前に避けていく。でも、自分の場合は禁止なら禁止の看板を立ててくれないとわからない」。
一方で私にとって新鮮だったのは、普段から清水さんやほかの職員らが、エイジさんのミスや異質に見える振る舞いを本人に伝えるだけでなく、エイジさんのそのときの心境や行動の理由についても耳を傾けていることだった。ユニオンも一般的な事業所や企業と同じくらい多忙だ。しかし、彼らは「少し変わった人間」に安易に「使えない」「身勝手」といったレッテルをはるのではなく、効率をいったん脇に置いてでも、コミュニケーションの時間を惜しまず、歩み寄れるポイントを探し続けているように見えた。
「自他の境界があいまい」
エイジさんは自身の心の内を「自他の境界があいまい。いつも相手から迫られている感じ」と表現した。電話相談のときは「自分は川岸に、相手は川の中の船に乗っている」とイメージすることで自他を切り分けようと試みるものの、結局相手の怒りや不安に侵食され、どうすればいいかわからなくなり、表面的な対応しかできなくなってしまう。仕事のことで注意をされたときも、その場は強迫的に相手の言うことに従っても、本当の意味で理解していないので、ミスを繰り返してしまうという。
他人との境界線がわからない、というのは発達障害の特性のひとつとしてよく挙げられる。自分の領域を他者にまで広げ、自らのルールや価値観を相手に押し付けてトラブルになるタイプと、反対に他者の領域を自分にまで広げ、相手の意見や要求に翻弄されるタイプがあるとされるが、エイジさんの場合は後者にあたるように見えた。
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