売り上げをKPIとして、ブレイクダウンしていくと、滞在時間とか再訪率が指標になってしまうのは、しょうがないとは思いますが、本当にそこだけを追求していって、全体的なよさにつながるのか?という感覚はありますね……。ただ、資本主義の中で流れに乗っていくためには仕方がないのかな、とも思っていまして……、気持ち的に疲れてしまうんです。
周囲のライフスタイルにあわせてしまう必然
ヴェブレン:ヴェブレンです。私は、人々のお金を使う行為は、他人への“見せびらかし”にすぎないと言ったり、日本に訳された著書のタイトルも『有閑階級の理論』だったりして、“お金持ち”の心理の分析ばかりが話題になるようですが、私が指摘したのは、みなさん全員の心の中にある問題だと捉えてもらったほうがよいのではないかと思っています。
物質的にある程度の生活水準に達した社会で起きる現象について……つまり、みなさんの社会ではもう当然となっているような習慣であり、心理です。
たとえば、高層ビルにある外資系の信用第一を掲げるオフィスに勤務するビジネスマンは、何十万円もするスーツに身を包んで商談の場に臨むわけですが、アフターファイブもその姿のままファミリーレストランというわけにはいかない……というように、身にまとうもの、行くお店などがある程度決まってきますよね?
仮にそうした職場に転職したら、よほど強心臓のわが道を行くタイプの人でもなければ、スーツ、ネクタイに始まって、そうしたライフスタイルを学習して同僚たちと同じような生活習慣による消費の水準を保とうとするでしょう?
それは職場でうまくやっていくためであり、単なる経済合理性ではなく、言わば、文化、社会、制度的な状況まで勘案したうえでは合理的なわけです。
こんなふうに、経済活動というもの自体、つねに他人の目を意識する中で行われているわけですから、お金持ちの“見せびらかし”の中にあるような心理は、社会がある程度物質的に豊かになれば、いわゆる中間層の人々の間にもどんどん広がっていくわけです。
ここで肝心なのは、この周囲に合わせたライフスタイルに乗り、しかもそこで消費の仕方を誇示したいという気持ちは、自己増殖して広がっていく、社会の構成員の心の中で言わば、自動的に生まれ広がる強さを持っているということですね。つまり、広告などにあおられて……、などの側面を越えて、集団の中では勝手に生まれて増殖していくものなのです。
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