そして、そのとき、関係が近いほどに、おのずから競い合う心理が強まることが特徴です。お隣、同じ職場の同僚など……、人間の性ですね。
しかし、最初にいただいた質問をみると、私の予見が不幸にして的中し、世界に広がったようですね。しかも、さまざまな、聞き慣れない、人間の営みを動物的に捉え、数値化する技術、尺度まで途方もない広がりをみせているようで……。
人と張り合いたがる性癖は、自己保存の本能を別とすれば、経済的な動機の中で最も強く、敏感で、しぶといものだと言えるでしょうな。産業社会では、金銭上の対抗心として現れるのですが、現代ではネットが介在することによって、あらゆる行動が、人との比較の心理を呼び起こしてしまうのでしょう。24時間、人と比べてしまう心には、休まるときはないでしょう。疲れますよね。
それにしても、私が文明社会に起こりがちな状況を言わばフィールドワークしたのは、19世紀末から20世紀初頭のアメリカ社会でした。イギリスの時代から、パクスアメリカーナと呼ばれる、アメリカの時代、すなわち大衆の時代への大変化の時代の中だからこそ、人々の意識の本質がより明確に浮かび上がってきて、人間の性を考察できたのかもしれません。
あれから100年以上、その大衆社会の性格が、グローバル化と言われるマジックワードに乗って、いよいよ世界に広がり、私の時代にはまだ“極東の神秘の島国”というイメージがあったみなさんの国の中でも広がっているのでしょうかね。
現代人は、リンゴの味を忘れた?
ヴェブレン:そう言えば、先日たまたまちょっと変わった番組を見ていましたら、終盤、現代人の陥っている状況を描写するのに、“リンゴを高く売ることに夢中になっているうちに、リンゴの味を忘れたのか?”なんてナレーションが出てきまして、うまいこと言うな、と思ったんです。
市場で高く売れる=交換価値ばかりをつり上げることにみんな夢中になっているうちに、リンゴを味わう=リンゴ本来の使用価値をどこかに置いてけぼりにしてしまっているような社会になっているんじゃないでしょうか?
そうした現象も、先に説明した、人間が無意識に張り合ってしまう性、見る/見られると視線が錯綜する中で本当に欲しいものがわからなくなって、いたずらにより高価なものを求めることを自らの欲望と錯覚してしまっているからではないですかね……。
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