奇跡を起こす人が一瞬のひらめきに頼ってない訳 “没頭すること"が新たな価値創造につながる

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たとえば、ピカソ。創造性のひらめき理論の完璧な例としてしばしば挙げられる。そうでなければ、スペインのアンダルシア地方で比較的無名な存在として生まれた男が、20世紀でもっとも革新的で影響力のある芸術作品を生み出すようになった理由を説明できるだろうか? これはたしかに天啓を物語っているはずだろう。少なくとも非常に特別な遺伝のおかげに違いあるまい?

ロバート・ワイズバーグはテンプル大学の心理学者で、ピカソを詳しく研究してまったく別の見解にたどりついた。彼は若き日のピカソが、目やさまざまなポーズの人体を辛抱強くていねいに描いていたことを発見した——ピカソは数時間や数週間にとどまらず、はかり知れないほどの時間をかけて技術を熱心に学んでいたのだ。

初期の絵は仲間たちにまさるものではなかった

だがピカソの創造の才は、画家になりたての頃はまったく顕著ではなかった。初期の絵は仲間たちにまさるものではない。だがこれらの「失敗」は後年の才能を否定するものではなかった。その一部であり、片鱗だったのだ。試行——およびしばしば錯誤——によってのみ、ピカソは創造性の爆発に必要な知識を築き上げることができたのだ(モーツァルトについてもまったく同じ話が明かされている。初期の作品は模倣的なもので、傑作があらわれたのは18年間の練習を積んだあとになってからだ)。

ピカソの創造性の漸増的性質がもっともあざやかに見受けられるのは「ゲルニカ」だ。1937年にスペイン内戦でバスクの町ゲルニカが爆撃されたことに着想を得て描かれており、史上もっとも革新的な作品の一つだとされている。この絵の製作工程がよくわかっているのは、下書きのスケッチ45枚すべてに番号と日付が書かれているからだ。

そしてなんと、ゲルニカは天啓にはほど遠い作品なのだ。むしろその逆で、スケッチを見れば、ピカソが30年かけて蓄積した知識をふるっていくつもの層を構築していったことがわかる。最初のスケッチが全体構造の土台で、初期作品がもとになっている。そのほかのスケッチはゴヤの作品から得た知識に由来する。こんなぐあいに、この傑作のどの層も、経験から引き出されている。純粋で汚れない神秘的な創造性のように見受けられるものは、実際のところ生涯にわたる献身の結果だったのだ。

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