意外!豊臣秀吉が「徳川の時代に大人気」だった訳 戦国武将のイメージは現代とは大きく異なる

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けれども、朝鮮出兵を批判する声は、もっぱら体制擁護者たる儒学者から挙がるにとどまった。民間ではむしろ、朝鮮出兵を賞賛する意見が主流だった。

軍学者の山鹿素行が記した歴史書『武家事紀』(1673年)は、豊臣秀吉の朝鮮出兵は秀吉の逝去により挫折したものの、日本の武勇を外国に知らしめたという点で神功皇后以来の壮挙であると説く。

そして、日本の諸将が不和であったために敵の策謀に落ちたが、もし団結していれば、朝鮮国どころか明国をも滅ぼしていただろうと論じている(『武家事紀』巻第一四)。

こうした主張は、北方ツングース系の狩猟民族である女真族が建てた清国が、1644年に巨大な明帝国を滅ぼした歴史的事実を背景にしていたと思われる(当時の清の人口は明の1%にも満たなかったと言われる)。

民間レベルでは負け戦という認識は希薄

また『絵本太閤記』の六編・七編は朝鮮出兵を叙述しているが、七編冒頭の「附言」で貝原益軒に反論している。豊臣秀吉は卑賤から身を起こして天下を取った英傑であり、その大志は凡人の考えが及ぶところではない。昨今はつまらぬ人間が朝鮮出兵を貪兵だの驕兵だのと誹謗している。だが、「筆下に章を積む腐儒燕雀の心を以ていかでか傑出英雄鵠鴻の大志を計り知らんや」というのである。

この一節は『史記』の「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(小人物に大人物の志は理解できない)」を踏まえたものである。文筆で空理空論をもてあそぶ腐れ儒者には、英雄の偉業は理解できない、と貝原益軒を批判しているのである。なお、『絵本太閤記』は出兵の動機の1つとして、「人間の一生は短い。日本の統治のみに時間を費やすのは英雄の志ではない。日本の武威を外国に見せつけてやろう」と豊臣秀吉に語らせている。

現代人から見ると、文禄・慶長の役という負け戦を起こした豊臣秀吉を、なぜそこまで賛美するのか、いささか奇異に思える。だが、民間レベルでは文禄・慶長の役が負け戦という認識は希薄だったように感じられる。

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