「『将来自立して、自分が描いている生き方ができるようになったら、(母親と)ちゃんと話したい、ありがとうと言いたい』みたいなことは、高校のときから友達に言っていたんですよ。
社会人になってからも、何度かバトルがあるんです。僕の名義で借りていた大学の奨学金を母が使い込んで返していなかった分とか、家賃を払っていなかった分とか、借金が明るみに出て。それで縁を切り連絡を断っていたんですけれど、いつかは違う関係性を築いていけたら、とも思っていた。深く話を聞ける人間になって、感情をぶつけずに話せるよう、(実務経験者の枠で)公認心理師の資格もとったのに。間に合わなかったんですね。急に死んでいったので。
母は最期まで、私を恨んだまま死んだんだろうなと思います。でもそれが、これまで私が何十年も母にぶつけてきた自分の罪の報いでしょう」
母のことを悔いるより――
お母さん、恨んでないですよ。つい口を挟まずにいられませんでした。母親は潤也さんとそっくりな性格だったというので、だとしたら潤也さんを恨んだまま亡くなるなど、ありえないと思ったからです。
母のことを悔いるより、いま生きている妻や子どもたちを大事にするほうがいいのでは。潤也さんは今の家族に対しても、心の中では感謝でいっぱいなのに、つい思ってもいないことを言って傷つけたり振り回したりしてしまうことを、とても気にしているのです。
この原稿をまとめながら思い出していたのは、筆者が子どもの頃に聞いた『ボクたち大阪の子どもやでェ』(作詞作曲・西岡たかし)という歌でした。子どもたちは町中のことを知っていて、あの子のことも、この子のことも何でもわかってる。あの曲に歌われていた、ごちゃごちゃとやかましく、でもあたたかみもある世界を、潤也さんに見せてもらった気がしました。
なお、潤也さんは中学や高校のときの親友と、いまでも仲がいいとのこと。物語が続いているようで、なんだかちょっとうれしくなりました。
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