「イヤな奴だった」自暴自棄だった僕を変えたもの 友達がくれる給食のパンを持ち帰った幼少期

✎ 1〜 ✎ 54 ✎ 55 ✎ 56 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

もうひとり、潤也さんを前に向かせてくれたのが、高2のときに付き合い始めた1つ年上の彼女でした。穏やかな気性の友人や彼女と付き合いを深めたことで、潤也さんも徐々に行動が落ち着き、母親との衝突も減ったといいます。

大学に進学したのも、彼女の勧めがきっかけでした。早く働いて家を出るつもりでしたが、受験勉強をする彼女に会いたい一心で潤也さんも一緒に勉強を始めたところ、成績が少しずつ上がり、先生からも推薦での進学を勧められます。潤也さんはいつしか「母や父とは違う生き方をしてやる」と思うようになっていました。

彼女とは残念ながら、潤也さんの受験期のただなか、別れることに。あるとき、母親が彼女の両親と連絡をとり、電話で激しく攻撃してしまったのです。彼女の両親は激怒し、彼女もついに彼をかばいきれなくなったようでした。

一時は捨て身になり、受験も放棄しかけていた潤也さんを支えてくれたのは、やはり友達でした。中学のときの親友は潤也さんの家に毎朝立ち寄り、受験情報や問題集を届けてくれたそう。高校の親友は、母親と潤也さんだけでなく、彼女と潤也さんの間にも入って連絡係をしてくれたといいます。

いくつもの試練にぶつかりながらも、周囲の助けを得て、潤也さんは大学に進学。そして今日までを生きてきたのでした。

母といつかは違う関係性を築きたかった

母親が亡くなったのは、いまから3年ほど前です。高校を卒業してからも、潤也さんは幾度となく母親との衝突を繰り返してきたのですが、「いつか穏やかに話をできるようになりたい」という思いは、ずっと胸にあったといいます。

次ページ「私を恨んだまま死んだんだろうなと思います」
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事