「『そんなら、やってやるわ!』って父親への反発心で入ったんですけれど、結果的には面白くて。身体を動かすことで、多少ストレスの発散にもなったのかもしれないです」
「あんなふうになりたい」と思えた親友の存在
一番よかったのは、同じバスケ部で親友ができたことでした。
「こいつは最初から僕に『かわいそうモード』じゃなく、親身に接してきたんです。僕は相変わらず『いま機嫌悪いから話しかけんといてくれ』とか言っちゃうようなやつだったのに、それでも仲良くしてくれて。非の打ち所がない、爽やか青年だったんですよ。その彼の態度や振る舞いを見ていたら、『あんなふうになりたいな』ってちょっとずつ思えるようになったんですよね。でも、なかなかうまくはいかなくて」
中学生のときには、家賃の滞納で家具を差し押さえられたこともありました。潤也さんが帰宅すると、家の前にスーツを来た大人たちが居並び、周囲には「何事か」と集まってきた近所の人たちの姿が。母親は不在で、大人たちがテレビやテーブルなど、あらゆる家財道具に差し押さえのシールを貼っているのです。何が起きているかわからず、パニック状態に陥りました。
「シールを貼る大人にも腹が立つし、野次馬みたいに来ている人にも腹が立つ。母に対しても『こういう状況になるのを知っていてあえて留守にしたんだろう』と思うし、そういういろんな気持ちが入り混じって許容量をオーバーして、もうキレまくるんですね。間に入って治めようとしてくれた、近所の人たちに対しても」
昔の自分を「嫌なやつだった」と強調する潤也さんですが、友達にはずっと恵まれていたようです。高校に入ると、今度はまた別の友人が、潤也さんに寄り添ってくれるようになりました。
「そいつも同じ中学で、高校に入ったらたまたまいっしょだった。僕の気性や中学のときのことをよく知ってくれていて、母とのバトルの仲介役を何年もしてくれて。3、4つ先の駅のやつなんですけど、僕の手に負えない事態になって『もう、わやくちゃや』って言ったら、何時であっても、自転車で駆けつけてくれる。
高校生なのに、すごい大人なんですよ。母に対してもケアするし、僕に対しても受け入れるというか。そのときは『親友』って言葉はよう使わなかったんですけれど、そういう友達が中学も高校もいてくれて、そのうち無意識に彼らの行動を学ぶようになってきた。『こういうふうに人と接せられるようになると、うれしいな』と思って」
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