宣教師も呆れさせた秀吉の女遊び
豊臣秀長が兄の秀吉にいざなわれて、織田信長に仕えたのは、いつの頃だったのか。定かではないが「桶狭間の戦い」の後、永禄5(1562)年頃ではないか、と考えられている。
その年に秀吉が足軽組頭にまで昇進しているからだ。家臣を率いる立場となり、信頼できる身内の秀長に声をかけたというのは、ありうることだ。
秀吉にとって、この出世は「自分の歩んできた道は間違いではなかった」と、確信させるものだったらしい。ちょうどこの頃に妻を迎えて心機一転、新たな人生をスタートさせている。
相手は、秀吉と同じ足軽組頭をしていた杉原定利の娘「ねね」である。出家してからは「高台院」と号することになるが、実際の名は判然としない。
「ねね」は『太閤素生記』などに出てくる名だが、自筆の書状には「ね」とだけある。これに敬称をつけた「おね」という呼び名も広まっているが、秀吉が愛称として「ねね」としている書状もある。そのほかの書状では、禰、禰々、寧、寧々などの表記があり、実にややこしい。
本稿では、今回の大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、おなじみの「寧々」で統一することにしよう。


















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