寧々は織田家の弓衆として仕えた浅野長勝の養女でもあった。秀吉は、秀長という自分の身内をそばに置きながら、寧々を通じて重要な人脈を手に入れることになった。
弟の秀長や妻の寧々のサポートを受けながら、秀吉は本格的に頭角を現していく。だが、出世するにつれて、秀吉はほかの女性に目移りすることが多くなったようだ。
なにしろ、秀吉の女好きは、イエズス会の宣教師の間でも有名だった。ルイス・フロイスが『日本史』で、こう書いているくらいだ。
「彼は政庁内に大身たちの若い娘たちを三百名も留めているのみならず、訪れて行く種々の城に、また別の多数の娘たちを置いていた」
これは秀吉が50歳を超えてからのことだったというから、すさまじい。
もっとも、キリスト教を制限した秀吉のことを、宣教師がことさら悪く書いた可能性はある。それでも誇張はあれど、無類の女好きだったことは確かそうだ。
浮気を繰り返す「禿げ鼠」とうまくやる方法とは?
寧々が秀吉の女癖の悪さに心を痛めたことは、信長の耳にも入ってきたようだ。信長は寧々にこんな書状を出した。
「このたびは、この地に初めてやって来て、お目に掛かり、嬉しく思った。特に土産物を色々といただき、その美しさはとても目にあまるほどで、筆にも書尽くしがたく思う」
時期としては天正4(1576)年から翌年にかけてのものだ。初めて安土を訪れた寧々から、信長は素晴らしいお土産をたくさんもらったのだという。書状では、その礼をまず述べながら、寧々の容貌をほめちぎっている。
「とりわけ、そなたの容貌、容姿まで、いつぞや拝見した時よりも、十のものが二十ほども美しくなっておる」
にもかかわらず、秀吉が寧々について「不満である」とあちこちで言っているのは、けしからんとしながら、こんなアドバイスを送った。
「どこを尋ね回っても、そなたほどの女房は、あの禿げ鼠には求めがたいので、これから後は、立ち振る舞いに用心し、いかにも上様らしく重々しくし、嫉妬などに陥ってはいけない」


















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