大久保利通が「孤独の権力者」になった納得の背景 対立した西郷隆盛の下野後、自らに権力を集中

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佐賀といえば、江藤新平だ。そもそも西郷との仲がおかしくなったのは、自分が欧米に行っている間に、この男が好き勝手に改革をしたからではないか。そのうえ、西郷を朝鮮へ派遣するか否かの話し合いでは、みなの前で論破されて屈辱的な目に遭わされている。

そんな私怨を抜きにしたとしても、反政府勢力を1つずつたたいておきたい大久保からすれば、佐賀士族の反乱は願ってもないチャンスである。

大久保利通は佐賀鎮圧のための全権を得ている。そして、自ら佐賀出張を願い出て、軍を差し向けることとなった。

辞めた参議4人が自由民権派政党を結成

大久保が不安を打ち消すかのように自らに権力を集中させるなか、参議を辞職した者たちは、何をしていたのか。

辞めた参議5人のうち西郷を除く4人は、日本で初めての自由民権派政党である「愛国公党」を結成。「民撰議院設立建白書」を政府に提出している。建白書では、こんな訴えがなされた。

「政権の帰する所を察するに、上帝室に在らず、下人民に在らず、しかも独り有司に帰す」

今は政治権力が天皇にも人民にもなく、官僚による独裁が行われている……と現政権の深刻な問題点を指摘。閣議で決定した西郷の朝鮮派遣をひっくり返した大久保や岩倉具視の横暴さを非難した。

「税を納める者は政治に参画する権利を有する」

そう主張して、民撰議院を設立して「天下の公議」を政治に反映させるべきだとした。自由民権運動の先がけであり、言論によって政府に立ち向かうという宣言を早々と行っていたのだ。

まさに大久保が最も恐れた、反政府軍による結集が着々と進んでいたのである。ここに西郷が加われば、明治政府は厳しい状況に追い込まれたことだろう。

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