閣議からわずか2日後の17日の朝、三条邸を訪ねて、大久保は辞表を提出。そのときの三条のリアクションを、大久保は日記にわざわざ書き記している。
「よほどあわてふためいたご様子だった」
三条は、大久保がまさか辞職するとまでは思っていなかったようだ。この後、三条は非常に厳しい立場に追いやられることになる。
三条からすれば、大久保との約束を反故にして朝鮮派遣を決めたのは、閣議に欠席している西郷を刺激したくなかっただけのこと。また、即時派遣が決まったといっても、閣議決定からすぐさま、西郷の派遣が実行されるわけではない。あくまでも「西郷の方針」を今一度確認して、政府の方針に沿うようならば、正式に決定するという流れとなる。三条はその場しのぎで、ひとまず西郷の機嫌を優先しただけだった。
意見を翻したことに引け目を感じていた三条実美
大久保を怒らせるのも本意ではなかったが、西郷は多くの元薩摩藩士たちに慕われており、命をも投げ出す覚悟の者も多くいる。暴発されたら、手がつけられないだろう。西郷に反旗を翻されることだけは、避けたかったのである。
もちろん、三条とて土壇場で意見を翻したことは、大久保に引け目を感じていた。だからこそ、閣議直後には「論を変じた」と自分の変節を認め、岩倉に詫びている。岩倉は、三条の詫び状を同封したうえで、自身も「何の面目もなく」と詫びた手紙を大久保に送った。
岩倉自身は1日目の閣議では、大久保の側に立って意見も言ったものの、頭の切れる江藤新平にすぐさま論破されて心が折れてしまった。三条の弱腰にはあきれながらも、大久保を支えきれなかった面では、同じ穴のムジナだ。2人そろって大久保に謝罪の意を示している。
しかし、相手を見限ったときの大久保は、怖いほどにブレない。もう三条から何を言われようとも、意思が揺らぐことはなかった。
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