西郷隆盛と対立した大久保利通が使った驚く寝技 閣議決定した西郷の朝鮮派遣が土壇場で中止に

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腹を据えたときの大久保を見ると、筆者はいつも次の言葉が頭に浮かぶ。

「ゆっくり急げ」

もともとはラテン語で「Festina Lente(フェスティナ レンテ)」。小説家の開高健による「悠々として急げ」というフレーズでもよく知られた。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの座右の銘だったといわれている。

時勢を決して見誤ることなく、やるべきことを淡々とかつ早急にやる。それでいて、拙速ではない。大久保の抜かりなさを知っているから、周囲もそのスピード感に合わせて追随する。このときも、木戸孝允、そしてなんと岩倉具視までもが辞表を提出することになる。

岩倉は、これまで三条と大久保の間に入ってきた。朝鮮への使節派遣では西郷に妥協した時期もあったが、土壇場で大久保を選んだ格好となった。

三条の精神はもう限界だった。翌18日未明、極度のプレッシャーから政務不能に陥ってしまう。仮病とする説もあるが、三条がこれ以上どうにもできずに投げ出すほかなかったことは、事実だろう。19日に三条もまた辞表を提出している。

考え抜いて秘策を導き出した大久保利通

さっそく、その日、大久保の家には、西郷従道、黒田清隆、松方正義、岩下方平ら鹿児島出身の要人が集まっている。何とかして、西郷の使節派遣を止めなければならない。そんな話し合いが行われた。

とくに、黒田と西郷隆盛の弟である従道は「朝鮮に派遣したら、西郷は死んでしまう」と心配してなんとか阻止する方法をと、大久保の家に連日通ったという。

しかし、もう閣議決定はなされている。状況をひっくり返すには、どんな方法が考えられるか。西郷の朝鮮派遣が決まって以来、大久保は考えに、考え抜いた。その結果、ついに妙案がひらめいた。

「挽回の策はないように思えたが、秘策が1つだけある」

大久保の日記には「此上ノ処他二挽回ノ策ナシトイエドモ只一ノ秘策アリ」と記されている。その秘策とは、次のようなものである。

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